変わらないものをさがしていた。
昨日も、今日も、明日も、明後日も。
ずっとずっと変わらないものを。
戦乱の時代。
十年来の親友と明日の昼ごろには殺しあうような時代。
代々仕えてきた忠臣が謀反をおこして成り代わる時代。
永遠に続くものなど、どこにもない。
齢5歳にして、梵天丸はその事実を確信していた。
まず変わったのは、母親。
病で右目を失い醜い要望になった梵天丸に、母は化け物と叫び、おまえなど生まなければよかった、病で死んでしまえばよかったのに、と言った。
それまでかわいがってくれていた女中たちも梵天丸を見るたびに悲鳴をあげて逃げるようになった。
利発な御子よ、と梵天丸を褒め称えていた家臣たちも一つ目に伊達家をまかせることなどできぬと言い出した。
父や乳母の喜多はそんな梵天丸を哀れんだのかそれまで以上に愛するようになった。
寄せられる過剰な期待と容赦のない悪意。
どちらも、幼い心を削った。
「梵天丸様、あまり部屋にひきこもってばかりおらずに、外に出てはいかがですか?今日はよい天気ですぞ」
片倉小十郎影綱。
喜多の弟で梵天丸の傅役。
年に似合わぬ落ち着きを持った少年。
「…小十郎は、梵天の顔が怖くないのか?」
「は?」
「みな、梵天の顔を見ると逃げていく。小十郎は、怖くないのか?この醜い右目が」
ためしたわけでも卑下したわけでもなく、ただ純粋に不思議だった。
実の母親でさえも化け物とののしったこの顔になんとも思わないわけがない。
「恐れながら、私は梵天丸様の右目をみたことがございませぬ。それでは、こわいともこわくないともいいかねます」
「それもそうだな」
見せるのは義務だと思った。
隠したままではつらいのは自分だ。
拒まれるなら早いうちがいい。
ぱさり
白い包帯が畳に落ちる。
「どうだ?」
隠すように長く伸ばした前髪を持ち上げ、醜く飛び出た白い眼球をさらす。
己でさえ嫌悪するこの右目。
醜くないはずがない。
「おそろしくなど、ありません」
小十郎は梵天丸のたったひとつきりになってしまった目をまっすぐに見つめながら、はっきりと言った。
「うそだ!」
反射のようにそう叫んでしまった梵天丸に、小十郎は真剣な表情をくずさないままに続けた。
「確かに、梵天丸様のその右目は、見目のよいものではございません」
「…」
「ですが、小十郎は、恐ろしいとは思いません」
「…うそだ」
「嘘なものですか。その右目は、梵天丸様が病に打ち勝った証です。確かに目は両方そろっていたほうが便利でしょう。ですが、右目を失おうとも梵天丸様は梵天丸様です。何一つ、変わりません」
変わらないものなどないことを知っていた。
右目を失って以来、周囲のものたちの態度はみんな変わってしまった。
この目に映る世界すら、同じものなどひとつもない。
「そんなことよりも、小十郎は、梵天丸様がよくぞ病に打ち勝ってくださったと、そちらを喜びたい。その小さなお体で、よくぞ生きていてくださった。貴方様が助かったと知らせを受けて、私がどれほど喜んだのか貴方様はご存じないでしょう」
「あ…」
「よく、がんばりましたな」
ふわり、と。
大きな手がためらいなく伸ばされ、梵天丸の頭をなでる。
暖かい手の感触。
存在を認められる喜び。
「こじゅ、ろ…」
臣下としては無礼な振る舞い。
それでも与えられた優しさに、政宗は病を得て以来初めて泣いた。
泣きながら、小十郎にしがみついた。
大きな腕は梵天丸の小さな身体を抱きしめ、梵天丸が泣き止むまでずっとそばにいた。
右目を切り取ったのはその3月後のことであった。
真っ白な包帯の上にわずかににじむ赤。
枕元に座る泣き出しそうな顔の父親を見上げて梵天丸は笑った。
「これで、憑き物が落ちまいた」
「…」
「どうか、小十郎を罰さないでください。梵天がのぞんだことです」
「しかし」
「梵天丸の右目は切り捨てました。亡くした右目のかわりに、梵天丸には小十郎が必要です」
梵天丸の右目を切り落とした男は揺るがない瞳で凛としてそこに座っていた。
ただ、切り落としたその瞬間にだけ梵天丸よりもよっぽど辛そうな顔をしていたことを梵天丸は知っていた。
そして、ありがとうと笑った梵天丸に深く頭を下げて永遠の忠誠を誓ったのだ。
『この片倉小十郎影綱、梵天丸様に変わらぬ忠誠を誓いもうしあげる』
『…』
『この小十郎が最後の一呼吸を終えるその瞬間まで。死して後も、小十郎が小十郎である限り。それを永遠と呼ぶのであれば、永遠にまでも』
永遠に続くものなどないのだと知っていた。
それでも永遠に変わらないものを探していた。
あの瞬間、確かに梵天丸は小十郎の瞳の奥にそれを見つけたと思った。
「父上」
「…どうした、梵天丸」
「梵天は、強くなります。強く強く、誰よりも。そして、小十郎が忠誠を捧げるに値する男になります」
あの誓いに応えることのできる人間になりたいと思った。
父から目をそらし、傍らに座る男をじっと見る。視線に気づいた小十郎もじっと梵天丸を見つめ返す。
「私が右目となりましょう」
あまりにも穏やかな声で言われて、とっさに言葉を返せなかった。
「あなた様の右目となり、常に共に在り、共に戦い、そして共に生きることをお許しください」
「やれやれ」
呆れたような響きを持った父の言葉に、ようやくこの部屋に彼もいたことを思い出した。
「まるで熱烈な求婚を目の当たりにしたような気持ちになったよ」
「…」
なんと言えばいいものかわからず口ごもっていると、輝宗は優しい眼差しで梵天丸のつむりを撫でた。
「梵天がそこまで言うのならば仕方がない。此度のこと、不問にしよう」
「まことですか!」
「ああ。ただし…」
にっこりと梵天丸に笑いかけてから、鋭く小十郎をにらむ。
「誓いを違えたら許しはしないよ」
輝宗の視線を真っ直ぐに受け止め、小十郎はしかとうなずいた。
「永遠を誓い、唯一と定めたのです。違えようはずがござりませぬ」
あまりにも迷いなく言われ、輝宗は肩をすくめて笑ってから、そっと立ち上がり部屋を出て行った。
「…小十郎」
二人きりになった部屋の中、先に口を開いたのは梵天丸だった。
「はい」
「…梵天は、まだ弱い」
「…」
「臆病風に吹かれることも、道をたがえることもあるやもしれぬ」
穏やかな口調、落ち着いた声。けれど静かな決意を秘めたその左目。
「そのときは、おまえが梵天を…止めてくれ。梵天が一人前に、誰よりも強く誰よりも優れた男となるよう、おまえが…小十郎が、鍛えてくれ」
「…」
「梵天は…おまえが誇りと思うような主になりたい」
「…梵天丸様」
「…」
「小十郎は、厳しいですよ?」
小十郎が笑った。優しく力強い。梵天丸を包む、暖かい笑みだった。
「かまわない!」
挑むように、梵天丸が叫ぶ。
自らの決心の強さを伝えようとしたのかその声は大きく、梵天丸がこんなにも大きな声を出すのを初めて聞いた、と小十郎は思った。
「どんなに厳しくとも、かまわない。梵天は強くなりたい。強くなって、おまえと…小十郎と、ともに生きたい。おまえが一緒なら、この戦乱の世だって怖くない」
年下の主の迷わない瞳に、小十郎の心の奥がずくりと熱くなる。相手を必要とし求めているのは梵天丸だけではない。小十郎にこそ、梵天丸が必要だった。この人のために生きる。そう、決めていた。
「梵天丸様」
小十郎の大きな手がそっと左目を覆う。
「今は、どうか健やかにお休みください。あなた様の右目の傷が癒えましたれば、すぐにでも鍛錬を始めましょう。強くなりましょう、何者にも負けぬように。そして、生きましょう。どこまでも、ともに」
その言葉と小十郎の手の温みに促されるように梵天丸を睡魔が襲う。
波に襲われる意識の中、梵天丸はわずかに微笑んだ。
永遠に続くものなどないのだと知っていた。
それでも永遠に変わらないものを探していた。
手のぬくもり。
向けられた言葉の深さ。
この男が隣にいる事実。
いつの日にか、すべてが永遠になればいい、と思った。
I'm looking for the something eternity
いつまでも、ずっと、永遠に
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