この手を―




二人だけの、秘密の部屋で共有する時間。
心が落ち着いて、ざわめいて、乱れて、安らぐトキ。
もっとも、幸せを感じることができる瞬間。






「そういえば」

ゆっくりと流れる時間に微笑むようにまどろんでいたシリウスに声をかけたのはジェームズだった。
緩慢な動作で身を起こし、シリウスはそのまなざしひとつでジェームズに続きを促す。
心得たもので、ジェームズも口の端を少し緩めて、続けた。

「もうすぐ新年がくるね」
「…ああ」

二人で並んで壁にもたれて座る。
ふと、気まぐれのようにシリウスが右隣に座るジェームズの左手に触れてみた。

「知っているかい?」

楽しむ響きを持ったジェームズの言葉に、シリウスも口の端を緩める。
ついでに、ジェームズはシリウスの手をしっかりと捕まえ、指を絡ませる。

「ジャパンでは、干支というものがあって、12匹の動物を順番に年に当てはめていくそうだよ」
「へぇ」
「来年は、“戌年”…おまえの年なんだって」

脳裏に相棒の持つもうひとつの姿を思い浮かべながら、歌い上げるようにジェームズは言った。

「…おまえの年は、ないのか?」

同じように相棒のもつもうひとつの姿を思い浮かべながら、少し楽しそうにシリウスは言った。

「…残念ながら」

言いながら、ジェームズはゆっくりと右手を伸ばした。

「“鹿年”というものは存在しないらしい。鹿は仲間に入れてもらえなかったんだ」
「…そうか」

自分のものと同じ色でありながら、まったく違う質感を持つシリウスの髪に指を滑らせながら、ジェームズは「だけど」と続け、にやりと笑った。
その笑みを見て、シリウスは若干の警戒と多大な興味を抱き、握られた手に少し力を込めた。
その期待に応えるように、ジェームズは笑った。
とてもとても、楽しそうに。




「でも、鹿は神の化身としてあがめられたそうだよ」




「は」
「ちなみに、干支っていうのは…まあ、神様に集められた動物たちの中から先着十二匹が選ばれて、使われているものらしい。御伽噺だけど」

その言葉を受けて、シリウスはうなるような声で言った。

「このヤロウ」

神の化身と神に集められてほいほいと集まった動物。
明らかに、神の化身のほうがえらそうだ。

「全然カミサマらしくないくせに、何言ってやがる」

手を伸ばしていつの間にか自分の正面にきていた男の頬に左手を伸ばす。

「このバカ鹿」

思いっきり、ひっぱってやると痛そうに顔をゆがめた。

「ひひひゃひゃいは」
「…何言ってるのかわかんねぇよ」

最後に強くひっぱってから手を離してやると、恨みがましそうにジェームズはシリウスをにらんだ。
にらまれたシリウスのほうはどこ吹く風。
その口元にはすっきりしたような笑みまで浮かんでいる。

「いいじゃないか、って言ったんだよ」
「何がだよ」
「カミサマはおまえたちを守らなきゃいけないけど、おまえたちはカミサマを守らなくていいだろう?」

そう言って微笑むジェームズの顔を見て、シリウスは少しだけ顔をゆがめて、それから思い切りその頭をひっぱたいた。

「何するんだ、シリウス!痛いじゃないか」
「言っておくけどなぁ」

文句を言うジェームズに、シリウスは微かな怒りさえにじませる声音で言った。
その瞳が微かに潤んでいるのは、怒りの涙のためなのか、それとももっと違う何かなのか、ジェームズはわからなかったが、その瞬間、シリウスのその瞳に見惚れたのは確かだった。




「それが、おまえがやばくなっても俺は手を出すな、っていう意味なんだったら、本気で怒るぞ」




「…シリウス」

困った顔をして、ジェームズはシリウスの頬に手を伸ばす。
それを振り払うように頭を振ったシリウスは、逆に自分から手を伸ばしてジェームズにしがみついた。


「俺は…おまえを失うのだけは、いやだ。ほかの何を見捨てることができても、おまえだけは見捨てられない。これから先の人生、まだ長いはずなんだ。それをおまえらなしで生きていくのには、耐えられない。大切なんだ。生きていて欲しい。いつも、笑っていて欲しい。だから、もし…おまえがやばかったら俺はほかの何を犠牲にしたって、おまえを守りにいく」


震える声でつむぎだされたシリウスの心に、ジェームズは己の軽率さを悔やんだ。
そっと、そおっと、シリウスを抱きしめる。


「…馬鹿なこと言って、ゴメン」
「………二度と、こんなこと言うな。言ったら、絶対に許さない」


シリウスの声は常よりも幼く響いて、ジェームズはやるせなくなる。

シリウスを、愛している。
ほかの誰よりも、何よりも、強く深い想いで愛している。
シリウスのためならば、何も惜しくはない。
たった一度の人生、無二の命、すべての時間、何を失ったとしても、たった一人の笑顔を得られるのなら、後悔はない。

ジェームズ・ポッターが望むのは、いつだってシリウス・ブラックの笑顔、幸福、それだけだ。



「シリウス…」



きれいに真っ直ぐ伸びたシリウスの黒髪に、指を絡め軽く口付ける。
ジェームズの腕の中でシリウスはびくっと震えた。
その震えさえもいとおしいとでも言うかのようにジェームズはますます強くシリウスを抱きしめる。




「なあ、僕たちいつまで一緒にいられるかな」




来年のこの季節、二人がこの場所でこうしてすごすことはありえない。

もう、彼らは安全に守られたホグワーツを卒業するのだから。
夢みたいな幸せを彼らに与えたホグワーツを卒業しなくてはならないのだから。
二度とこの場所に帰ってくることは、かなわないのだから。



「…」
「…」



ジェームズもシリウスも、何も言わなかった。
何も言わずに、互いの体をきつく抱きしめる。




迫り繰る別れのときを恐れながら、恋人たちはただ抱き合う。
互いのことを、決して離さないとでもいうかのように強く、強く。
世界はいつだって彼らに容赦ない。
それでも彼らは世界に立ち向かっていかなければならない。
望んだ幸福を現実に変えるために。
愛する人を、守るために。


「シリウス…」
「…ジェームズ……」


交わされた口付けはひどく甘く、そして苦かった。






しっかりと指を絡めてつないだ手。
いつか、この手を離さなければならないときが来たとしても、この右手は、左手は、あなたと手をつなぐために空けておくから。




だから、いつか、必ずこの場所に戻ってきてもう一度、何度でも、指を絡めあおう。






その先は二度と離れずにいられるように。





互いを見失わぬように。









大切な人と過ごせる大切な時間を大切に思う心



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