・佐助の過去を捏造しています
・×というよりも+かも


ペシミストに捧げる哀歌







「俺、あんたのこときらいだよ」





自室で静かに書を読む初夏の夜だった。
戦場では破天荒な政宗であるが、静寂を尊ぶ性質を持ち合わせてもいる。風雅をこよなく愛したし、勉学もきらいではなかった。堅苦しい作法や儀礼に関しても、面倒だとは思うが疎むほどではない。そういうものだと心得ていた。

「そうか」
わざわざそんなことを言うためにはるばる奥州までくるとはご苦労なことだ。書物から顔を上げずにそっけなく返事をすると、男−猿飛佐助はつかつかと政宗に歩み寄り、書物を取り上げた。
「あんたのそういうところ、本気で腹が立つ」
「…」
ようやく顔を上げて佐助をじっと見つめる政宗に、佐助は彼らしからぬ暗い目でにらみつけた。
「殺したくなる」
クナイを咽喉に突きつけられても、政宗は微動だにせず、一つきりの目でじっと佐助を見つめていた。



伊達政宗は、奥州の大名伊達家の跡取りとして生まれた。幼少期には父母にかわいがられ、奥羽一の美女と名高い母によく似て美しく、そして利発な子どもであった。しかし、政宗が疱瘡で右目を失った頃からすべてが変わっていった。もともと子煩悩であった父はますます政宗を溺愛し、それに対して母は醜いと蔑み政宗を疎むようになる。過剰な愛と拒絶を受けた柔らかな心は硬く閉ざされ、政宗は笑わない子どもになった。家中は政宗を支持するものと廃嫡にすべきだと主張するものとの二つに割れた。それがまた政宗の心を傷つけた。


猿飛佐助は、親の顔を知らない。物心がつくかつかないか、という幼い頃に捨てられたからだ。不安と恐怖にかられて泣き叫ぶ佐助を不憫に思った男が佐助を拾って忍の里につれて帰った。訓練は厳しく、多くの仲間が死んでいった。逃げようとすれば制裁を加えられる。辛いと泣いても誰も涙を拭ってはくれない。佐助は心を殺すことを覚えた。忍になるためではなく、自分を守るために。あまりに上手に心を殺しすぎて、佐助は感情を表現することができなくなった。自分が孤独であることも知らなかった。




「…俺とおまえは、似ているな」
政宗は佐助の事情など知らなかったし、佐助も政宗の事情を知らない。
けれど、交じり合った視線に深淵な闇を見た。癒されぬ心の傷に気づいてしまった。
方や一国の王、方や人としてすら認められぬ忍の身分。生まれた場所に天と地ほどにも違いのある二人であったが、その瞳は同じものを見つめていた。誰にもどうすることのできない、深い深い、孤独を。

佐助の持ったクナイが微かに震えて政宗の首に赤い筋を作った。
「だが…」
「…」
佐助は何も言わない。ただ、じっと政宗を見据えていた。
「俺もおまえも、今はもう独りじゃないだろう?」
俺に小十郎がいるように、おまえには真田がいる。



政宗は佐助にとって幸村がどういった存在であるのかがなんとなくわかるような気がした。
政宗にとっての小十郎と佐助にとっての幸村。その意味も含むところもまったく違うものであるが、それでも一言で表してしまうのであれば「救い」であっただろう。



長い沈黙があった。
佐助が瞳を揺らすのを政宗はじっと見ていた。
「…そうだよ」
ようやく返ってきた肯定の声はここに来た当初とは違い、か細く頼りないものであった。
「だから、怖いんだ」
道に迷った幼子のようだ、と思った。
「…俺から、旦那をとらないで」
カタン、とクナイが手から滑り落ちて床に落ちた。





政宗と幸村が出会ったのは三月ほど前のことで、それは偶然だった。出会いは偶然であったが二人は必然のように刃を交わし、決着のつかぬままに互いの名を胸に刻み別れた。そしてその日からしきりに幸村は政宗の名を口にした。武田信玄との声を大にした会話の最中、佐助との何気ない会話、果ては鍛錬に励むときにまで。日に何度も彼の名を口にし、会いたい会いたいと望む姿はある種の恋のようであった。

(ああ、伊達政宗…は旦那にとって唯一の存在なんだ)
佐助にとって幸村は絶対で唯一の人だが、幸村にとって佐助はそうではない。幸村が無二と慕う信玄や、自他共に認める好敵手の政宗と違って、佐助はいくらでもかえのきく忍なのだ。

そう思ったら、怖くなった。足元ががらがらと崩れ、心に氷を押し付けられたような気持ちになった。そして奥州に向かっていたのだ。
政宗を、殺そうと思った。
いろんな人に大切にされて愛されて必要とされている男が、佐助の唯一の人にまで求められているのが許せなかった。逆恨みであることに気づかないふりをして、佐助はただただ政宗を殺したい一心で奥州まで来た。




「…とらねえよ」
政宗の声が思いのほか優しくて、うつむいて唇をかみ締めていた佐助ははじかれたように顔を上げた。
「っつうか…とれねえよ」
やんわりと苦笑して、そっと政宗の指が佐助の髪に伸びる。
「おまえ、あいつがどんだけおまえのこと大事に思ってるか知らねえだろ。あいつの文には信玄のおっさんのことかおまえのことかしか書いてねえんだぜ」
そう言って笑う政宗は戦場で見せる獰猛さからはかけ離れ、慈愛すら含んでいるように思えた。
これが、伊達軍の人たちが必死になってこの人を守ろうとする理由なのかなあ。
ぼんやりと考えながら、佐助は政宗の目を見た。

「…ごめん」
「Ah―、何がだ?」
「…」
ニヤリ、と意地の悪い顔で政宗が笑う。悪戯を仕掛ける子どもの顔だ。
「そういえば、読書を邪魔されたんだったな。この侘びは、真田の自慢するおまえの手製団子でいいぜ」
「わかった」
「伊達軍全員の分な」
「わか…って、ええぇ!そりゃないでしょー」
「Ha!楽しみにしてるぜ、猿飛?」
この上なく楽しそうに笑う政宗はいっそ無邪気で、きっとこの人のこんな表情を幸村は知らないのだろう。そう思ったらなんとなく優越感がこみ上げてきた。
「無茶言わないでよ、もー」
「ははっ」
「…ねえ」
「Ah-?」
「また来てもいい?」
「構わねえよ。土産をもってくるんならな」
「ん、わかった」
佐助はうなずき、じゃあね、と呟くと姿を消した。
随分あっさりとした退場に政宗はため息をつくと、軽く伸びをした。






「なあ、小十郎」
ぽつり、と政宗はもっとも信頼する男の名を呼んだ。
「…はい」
しばしの躊躇いの後に帰ってきた控えめな返事にくつくつと喉の奥で笑った。
不審者の報告を黒脛巾にでも受けて来たのだろう、会話の途中から小十郎が部屋の外にいることに政宗は気づいていた。小十郎がいるから大丈夫、という無意識の信頼と安心が政宗を落ち着かせた。落ち着いて、佐助の激情を受け入れることができた。

「おまえがいて、よかった」
「…っ!」
へそまがりな政宗の珍しい素直な言葉に小十郎は息を飲んだ。ふすま越しにもその気配の伝わった政宗は自分でもらしくないことを言った自覚はあったので恥ずかしくなって、荒々しく布団をかぶって灯を消した。
「そんだけだ、じゃあな、おやすみ!」
「はい」
返ってきた言葉が明らかに喜びに満ちていることに気づいてしまった。暗くなった部屋の布団の中で政宗は一人、ひたすらに赤面していた。

「小十郎も、政宗様にお仕えすることができて幸せでございます」
それでは、おやすみなさいませ。
押さえ切れない喜びをにじませた声で告げ、去っていく小十郎の気配を遠くに感じながら、政宗は布団の中でらしくないことを言ってしまった後悔と羞恥にもだえながらも、返された小十郎の言の葉に対する喜びと安堵に満たされていた。







おまけ



「佐助、この団子は食べていいのか!?」


大量の団子を前にして真田幸村はきらきらと瞳を輝かせて佐助を見た。勝手に食べないのは、佐助による日ごろの躾の賜物だ。
「げ、旦那…。あちゃー、今日の鍛錬はもう終わったの?」
幸村が鍛錬を終える前に作り上げようと頑張っていたのだが、どうやらムリだったらしい。

「うむ。それより、佐助」
「これは食べちゃダメですよー。旦那のおやつじゃないからね」
「なぜだ、佐助!この大量の団子をおまえは一人占めするつもりか!」
じっと見つめられて、佐助はうっとつまった。幸村のこの子犬のような視線には弱いのだ。
「う〜」
「佐助ぇ」

駄目だ、このままではほだされてしまう。だが、こんなに大量の団子を作ったのにはちゃんとしたわけがあるのだ。ここで情に流されてしまうわけにはいかない。

「駄目!これは政宗にあげるんだから!!」
「何!?」
くわ、と幸村が目を見開いた。先ほどまでと違い、あまりかわいくはない。
「佐助、おまえいつの間に政宗殿とそんなに仲がよくなった!?しかも、名前を呼び捨てにするなど!某とて、文ではともかく直接には伊達殿としか呼んだことがないというのに!!」
すごい剣幕だ。耳が痛い。この調子ではそうやすやすとは引き下がらないだろう。仕方がない。
佐助はこっそりため息を吐いてからにっこり笑った。

「だーんな」
「なに…もがっ」
「味見してくれる?」
幸村の叫ぶために大きく開いた口に団子を三つほど放り込む。途端におとなしく団子を頬張る幸村ににこっと笑いかける。
「おいしい?」
「うむ」
「そ、よかった。…じゃあこれ届けてくるから」
いつの間に包んだものか佐助は大量の団子の包まれた風呂敷をよいしょと背負って既に空の人となっていた。

「いってきまーす」
「待て、佐助ええぇえぇぇえぇぇ!!!!!」







大量の団子を背負った佐助と、佐助(とその背に負われた団子)を追いかけてきた幸村が現れることを、奥州の主従はまだ、知らない。







どんなに辛くても君がいるから耐えられる。





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