草木も眠る丑三つ時。
常人ならば眠りに付くはずのこの時間こそが忍のもっとも活躍する刻である。
猿飛佐助は気配を絶ち、足音を消して米沢城の屋根裏を走っていた。

目指すは、ただ一人。
伊達政宗。
奥州の王であり独眼竜の異名を持つ年若き青年だけだ。





突破するのは決して容易ではない。
伊達の忍隊である黒脛巾は主に忠実で誠実に任を実行する。主に情報収集に長けた彼らではあるが、戦闘能力が低いというわけではないのだ。むしろ、情報収集にも戦闘にも強い非常に優秀な忍隊であるといえるだろう。

(ま、俺様の敵じゃないけどねー!)
心の中で嘯き、ニヤリと笑う。佐助は自分の忍としての腕に誇りを持っているし、誇張でもなんでもなく自分が優秀な忍であることを知っているのだ。
(独眼竜の旦那風に言えば、真田忍隊の忍頭は伊達じゃねぇ、って感じかな)
とりとめもないことを考えながらも意識は常に四方へ張り巡らせ、気を抜くことはない。一瞬の油断が命とりになると知っているからだ。主に妄信的な伊達軍の面々は、城に入り込んだ忍を殺すのに容赦をしないだろう。


そろそろ城の中心部に近づいてきた。
ここからは更なる用心が必要だろう。
伊達政宗の寝所から程近いところに竜の右目と呼ばれる男、片倉小十郎の居室があるからだ。あの男は、黒脛巾隊以上に厄介な相手だ。気配に聡く、忠義に篤い。凡そ家臣として最高の部類に属する男である。あの男に見つかったのなら、任務の遂行は叶わないと見ていいだろう。だが、あの場所を抜けなければ伊達政宗のところへはたどり着けない。
(最後にして最大の難関…だな)

気配をうかがう。
しんとした夜の城内は静まり返り、目覚めているのは不寝番の兵たちだけだ。それすらも、襲い来る眠気と戦うのに必死であり、佐助の気配など気づけようはずもない。
(いける!)
佐助は細心の注意を払い、気配を消し足音を消し、呼吸すら止めて片倉小十郎の居室の上を通り抜けた。
伊達政宗の部屋にたどり着くと同時に天井から音もなく飛び降り、伊達政宗の首元に苦無をつきつけた。











…はずだった。
否、現実として佐助の右手に握られた苦無は伊達政宗の首筋、頚動脈の上にぴたりと添えられている。しかし、眠っているはずの伊達政宗の懐剣も寸部違わず佐助の心臓の上に当てられているのだ。

「こんな夜中にknockもなしに訪問とは…行儀の悪いguestだな」

隻眼の男がニヤリと笑う。

「チッ!」
舌打ちする。今夜の佐助は完璧だった。気配に聡い政宗ではあるが、まさか気づかれるとは思ってなかった。
「さて…」
視線で政宗は佐助に苦無をどけるよう要求した。それに従い、佐助は右手をひき、同時に政宗の懐剣が届かない距離まで飛びのいた。
「ふぁ〜…ったく、安眠妨害しやがって…」
懐剣を枕元に置き、欠伸をしながら起き上がった政宗はじとりと恨めしそうに佐助をにらんだ。



「で?」
「…」
「今日はどうしたんだよ」
あきれたような声で、政宗が佐助に問いかける。眠たそうに目をこするのも、この時間に起こされたのだから仕方のないことだろう。

「聞いてよ、政宗!」
「Ah―?」
「真田の旦那ったら、ひどいんだよ!!」
みるみるうちに佐助の目に涙がたまる。政宗はまたか、とうんざりした表情を作った。
「今日の晩御飯に、俺様特性の煮物を作ってあげたのに、『たまには違う味の煮物を食べたい』なんて言い出すんだよ!!そもそもご飯作るのは忍の仕事じゃないんだから、作ってもらってるだけでも感謝するべきでしょ!?それなのに、挙句の果てに『最近は同じような献立ばかりで飽きた』なんて言うんだよ!!??」

政宗は今にもつかみかからんばかりの佐助の勢いにいやそうに顔をしかめたが、おとなしく佐助の愚痴を聞いてやっている。そもそも政宗が佐助の愚痴を聞いてやる義理などないのだ。しかし、暴走しがちな幸村の尻拭いに奔走させられる佐助があまりにも哀れに思えて、数ヶ月前に城中の誰にも見つからずに自分のところまで来れたら相手してやる、と約束をしてしまったので仕方ない。妙な付き合いだ、と欠伸をかみ殺し佐助の愚痴を聞き流しながら政宗は心中ひとりごちる。


「…で?」
一通り愚痴と不満を吐き出したころを見計らって、ようやく政宗は口を開いた。
「おまえは俺に何を聞きたいんだ?」
ついでにぽんぽんと頭を撫でてやった。Orange色の髪の毛はろくに手入れされておらずごわごわしているもののもともと柔らかい髪質なのだろう、意外に手に馴染んだ。
「………………………政宗の料理譜…今度、貸して」

この血で血を洗う戦国の御世に、それが夜中に敵国の城主の寝所に忍び込んでまでする頼みか。
政宗は思わず天を仰いで嘆きたくなったが、あまりにも健気で献身的な忍が哀れで思わずうなずいてしまったのだった。









忍のお仕事





…本気で、転職考えようかな。





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