それは甚だ不可解な感情だった。

強い執着。
灼きつくような焦燥。
抑えられない渇望。

ただ一人のことをひたむきに求めるさまは愛と呼ばれるものによく似ていたが、それは俺たちからもっとも遠い場所に位置するものに思えた。

(わけわかんねぇ)

それでも無視できないほどに強い感情がそこにはあるのは事実であり、そこにある以上足掻いたところで逃げられないのは明白だった。









勝利。

歓喜。

悲哀。

飢餓。

孤独。



その瞬間、それらのものが一気に俺を襲った。

チャリン

一瞬の静寂を破ったのはすでに見慣れた赤揃えの男がいつも首から提げている六文銭の鳴らした音。
ゆっくりとそいつが倒れるさまを見ながら消えていたすべての感覚が戻ってきたことに気がついた。

(痛ぇ)

心臓の音がどくどくと耳の横で鳴っているようにうるさい。全身が燃えるように熱いのに、指先から冷えていくようにも感じる。遠くにいくさばの喧騒を感じながら、そういえば今は合戦の最中だったのだと思い出した。決戦のために、俺もこいつも俺たちの戦いの俺たち以外の誰かの介入(邪魔されることも、巻き込むこともイヤだった)を嫌って戦場から近くとも人のいない場所を選んだのだ。まだ誰も…俺の右目も、こいつの腹心の忍も…この結末を知らない。
この世界には、まだ二人しかいない。


「貴殿の勝ちだ」


聞こえた声に、肩で息をしながら顔を向ければうつぶせに倒れたまま、顔だけをこちらに向けてかすかに笑う男。


「独眼竜…政宗殿」


微笑んでいるのに、その目だけはやっぱり強い力で俺を見ていて、そのことにほっとした。
(あんたに弱い目なんて似合わない)
いつだって、俺をひきつけるのはそのまっすぐに迷いのない瞳だった。


「ああ、あんたの負けだ…真田幸村」


今、誰かを呼んで手当てをしたのなら。
或いはこの男は助かるかもしれない。
だがそんなことをこの男も俺も望まない。

命を懸けて死合い、そして今この結末を迎えた。ここでこの男を助けるために俺が動くことはこいつに対しての侮辱であり、俺たちの勝負を穢すものでしかない。命よりも優先されるべきものがあることを知っていた。誇りを折られれば生き続けることなどできない。
そんな、愚かな男だ。


「俺の、勝ちだ」


言った瞬間、ひざから力が抜けてかくりとその場に座り込んでしまった。斬られた右肩がじくじく痛む。それより先に斬りつけられた左足も、感覚があまりない。早く止血をしないと、俺もやばいかもしれない。

座り込んだことで互いの顔が近くなり、表情が具に読み取れた。そういえば、こんなにゆっくりこいつの顔を見たことは初めてかも知れない。意外なほどに幼い、と思った。
会うのはいつもいくさばで、紅蓮の鬼の異名に恥じぬ覇気と狂気さえ滲ませるほどの容赦のなさ、そして強い瞳ばかりが目に付いた。
(そういえば、こいつ、俺より2つ年下だったっけか)
今更のようにそう思い、他人事のようにこんなにも若くして散ってゆく命を惜しく思った。

それでも俺はこいつの命を奪うことも、そんな風にしか向き合えなかったことも、後悔をしない。戦のない世なら、もしかしたら理解しあえる良い友人になれたかもしれない。だが今は戦乱の世であり、俺とこいつは敵だった。
そして、俺はどうしてもこいつと俺が並び立つ未来を想像することができなかった。


欲しいものがあった。
譲れないものがあった。
だから、俺たちはこうして殺しあうことでしか互いを認めることができなかった。


「もし、生まれ変わることがあるのなら」
「…」
「また、そなたと戦いたい」
きっと、今度は某が勝ってみせるでござる。

恨みも未練も見せずにそう笑うのが、不思議だった。
まだやりたいことがあったはず。
まだ成さねばならぬことがあったはず。
残して逝くのが辛くはないのか。
先に逝くのが悲しくないのか。
こみ上げる疑問を飲み込んで、俺はただうなずいた。

「ああ」
今度も、俺が勝つけどな。

付け加えるようにそうつぶやくと、もう一度笑ってから男はゆっくりと目を閉じた。強い瞳がまぶたに覆われると17歳の少年の幼さだけが残った。俺の知る“真田幸村”との違いに戸惑っていると唇がかすかに動く。聞き取ることができずに顔を近づけると、かすれるような声がようやく聞き取れるだけの強さでつぶやいた。

「楽しゅうござった」
「…」
「そなたとこうして戦うことができて、楽しゅうござった」


そう言って、真田幸村は息を引き取った。


「…Rest in peace」


我ながら、なんて偽善的な言葉だと思いながらもほかに向ける言葉が見つからずにそうつぶやいた。













それは甚だ不可解な感情だった。

強い執着。
焼きつくような焦燥。
抑えられない渇望。

ただ一人のことをひたむきに求めるさまは愛と呼ばれるものによく似ていたが、それは俺たちからもっとも遠い場所に位置するものに思えた。
それでも、愛によく似たこの感情がなんなのか、俺にはわからなかった。
そして、わからないまま終わり、それを知る術は永遠になくなってしまった。

(残ったのはこの不可解な感情だけ)







永遠に答えは見つからないだろうけれど。



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