いくさのないよがほしい。


なぜ戦うのか、問うた俺の言葉にその人はそう答えた。
戦のない世など俺には考えられなかったし、そんなものがあるとも思えなかったけれどその人ははっとするほどのひたむきさでそれを望んだ。

そうして、気づかされた。
俺は童だったころ…弁丸と名乗っていたあのころから、一度として戦のない世を望んだことはなかったのだ。

紅蓮の鬼。

まさに、俺は人の血を好む鬼なのかもしれない。







出会ったのはいくさばだった。
幾人も斬り捨て血にまみれた俺の前に突如現れた青い旋風が、その人だった。

何合も打ち合って、それでも決着はつかずに終わってしまった一騎打ち。
こんなにも強い熱があったのか、と。
俺自身ですら驚くほどに激しい昂ぶりを覚えた。


傷の痛みとこの身に荒れ狂う熱を残した死合いの後、常の戦の後の熱などまったく残らない驚くほど凪いだ頭で気づいてしまった。
俺は、最高に出会ったのだと。
甘さなど微塵もないというのに何よりも甘やかな瞬間。
最高を知ってしまったから、もう、ほかの誰でも満たされはせぬのだと。
もう後戻りはできないところへ来てしまったのだと。

気づいてしまった。
知ってしまった。

「独眼竜…伊達、政宗殿」

俺を満たすことができる唯一の人。




あの方と、また戦いたい。
未だかつてないほどに、心が震えたのだ。
この強烈な感情をなんと名づけるべきなのか、俺は知らない。
恋と呼ぶには激しさばかりが残り、愛と呼ぶには血なまぐさい、いくさばでしか実ることを知らぬ思い。
しかし誰かのすべてを、その存在を請うこの想いは、決して不快なものではなくその強さは心地よくすらあった。









あの人のことを知りたいと思った。
俺と2つしか違わぬというのに、誰よりも深いその隻眼の色。
まだ若い、若過ぎるというのにその背に御館様と同じほどのものを負いながら揺ぎ無く立つ痩躯。
奥州の荒くれ者たちの思慕を一身に受けとめることができるほどの懐の広さ。
そのどれもが突出したものであり彼の器の大きさを思わせるには十分なものではあるが、それは本当に彼自身の姿なのだろうか。なぜ戦うのかと問うたときに一瞬だけ見せた揺らいだ瞳。その意味こそが、本当の彼に触れる術なのではないだろうか。
本当の彼を、知りたいと思った。それと同時に、自分という人物を知って欲しいと、その魂に焼きつけて欲しいと思った。
自分が、あの一瞬でこんなにも鮮烈に彼を刻まれたように。



いくさのないよがほしい、と言ったあなたに対しあの瞬間確かに見惚れたというのに、それ以上にその命を奪るのは俺でありたいと願ったのは美しいものを壊したい衝動なのかそれとも子どもじみた独占欲だったのか。







不思議と、痛みはなかった。
すべてのものが音を失くし、ひどくゆっくりとして見えた。
どう、という大きな音と衝撃に、俺は己が地に倒れたことを知った。

痛みは遠いというのに身体はうまく動かない。
立ち上がることも腕を動かすこともできず、もどかしく思いながら首をやっとのことでめぐらせれば、呆然と立っている青い竜が目に映った。


「貴殿の勝ちだ」
悔しくない、などとは言わない。
しかし、無性にすがすがしい気分に大声で彼を褒め称えたい心持がした。

「独眼竜…政宗殿」

呼ばれた名にようやく我に返ったかのように、瞳に色が戻る。
この色が、とても好きだと思う。
この色が俺を前にした途端に熱く、激しく静かな熱を持つ瞬間が何よりも好きだった。

「ああ」
信じられないものを見たように。
あり得ないものを見たように。
「あんたの負けだ、真田幸村」
それでもひどくはっきりとその人は言い切った。
その瞳の奥が泣いているように見えるのはなぜだろう。
(なぜ戦うのか問うた時に見せた一瞬の瞳の揺らぎのような)
悲しい、色。

「俺の、勝ちだ」
俺に宣言するというよりは自らに言い聞かせるようにそう言った後、力が抜けたのか限界が来たのか、その人はかくりとその場に座り込んだ。
青い陣羽織に俺のものとも彼のものとも知れない血が染み込んで汚れているのを残念だと思った。
(政宗殿には青い色がよく似合うというのに)

顔と顔との距離が近くなり、初めて、彼の素顔をこんなに間近で見ることができた。
(このような顔をしておいでだったのか)
常に表情を隠している兜を今は身につけていないことに気づくが、それは最初からだったのかそれとも戦いの途中に失われたのかが思い出せない。兜の有無など戦いの上ではどうでもいいことだからだ。
整った顔をしている、と思った。それだけにその右目の眼帯だけが異様で、えもいわれぬ迫力のようなものを添えて、若すぎる国主の素顔を覆っている。
(このような色をいつも浮かべておられたのだろうか)
泣き出す直前のような、切ない悲しい色。寂しげにゆれる隻眼。
(子どものようだ)
霞みゆく意識の中、どうしてそう思ったのかはわからない。

けれど、その表情に痛みを認めた瞬間、俺は俺が今まで斬り捨ててきたものの重さを知った。
なんと多くの命を屠ってきたのだろう。
この手が赤く濡れていることに、初めて気がついた。
前しか、見えていなかった。
求めるもののためにどれほどのものを傷つけてきたのか、知らなかった。

振り返るのは、立ち止まるのは、ただの弱さだと思っていた。
(しかし、己の負うものを知らぬことこそが、弱さなのではないだろうか。すべてを受け入れて、そうしてなお進むことこそが、強さなのではないだろうか)
すべてを受け入れてなおあのように悠々と構えることのできる御館様の本当の大きさを、今、初めて知った。
(きっと、政宗殿も…)
なぜ戦うのかと問うたときに一瞬だけ見せた揺らいだ瞳。
あれは、負うたものの重さに揺らいだ心なのではないだろうか。
(負った重みを知っているからこそ、政宗殿は強いのであろうか。重みに揺らぐ心を持つ彼だからこそ、人々は慕うのだろうか)
その重みを、手がけてきた命の意味を、最期に知ることができた。
知ったから、俺はすべてを負って逝くことができる。
大切なことを教えてくれた彼に、心からの感謝をささげたかった。

「もし、生まれ変わることがあるのなら」
生まれ変わって、もう一度出会うことができたのなら。
「…」
「また、そなたと戦いたい」
きっと、今度は某が勝ってみせるでござる。
そう言って笑うと、ほんの一瞬だけ泣きそうに顔をゆがめた政宗殿はすぐに小さく微笑んでうなずいた。
「ああ」
今度も、俺が勝つけどな。
一瞬で消えてしまったその笑みは、それでもとても美しく見えた。

最後まで彼を見ていたかった。
しかし、目を開けているだけの力ももう残っていない。
必死に抵抗して、それでも落ちていくまぶたの合間から、魂に焼き付けるように彼を見つめた。
「楽しゅうござった」
ただ、思ったことを口にする。
もう、彼の姿は見ることができないけれど。
「…」
政宗殿は一言も聞き逃すまいというように真剣に俺の言葉を聞いてくれる。
「そなたとこうして戦うことができて、楽しゅうござった」
「…」
もうひとつ、何よりも大切なことを伝えようと思ったのに、そこまでの時間は残っていなかった。
口を開こうとしたところで、俺は息絶えた。
この美しい竜に看取られながら逝くことができて幸福だと思った。







惹かれていた、欲していた、誰よりも求めていた。
俺と彼の人はまるで正反対のようでいて、そしてどこか確実に同じところを持っていた。
俺の決して持ち得ぬものを持つからこそ惹かれ、同じほどの魂の熱さを共有するものであるからこそ欲し、そして彼が彼であればこそ誰よりも求めた。



 いくさのないよがほしい。


なぜ戦うのか、問うた俺の言葉にその人はそう答えた。
戦のない世など俺には考えられなかったし、そんなものがあるとも思えなかったけれどその人ははっとするほどのひたむきさでそれを望んだ。

そんなあなたの望む世界を、叶うことなら、見てみたかった。
俺が何より望むのは御館様の統べる日ノ本ではあるけれど。
青き竜の望む未来、戦のない世界、そんな優しい場所で、二人、武器を持たずに向き合ってみたかった。

(それはもう、永遠にかなわぬ望みであるけれど)








叶わぬと知りながら願う俺は愚かでしょうか。



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