幸福というものは人によって異なり、一概にこれと決め付けることはできない。即ち、幸福には定型がないからである。だが、あえて幸福を型にはめてみるとする。心から愛しい人物に心から愛される、というのはなかなか一般的な幸福の形ではないだろうか。
何が言いたいのか。
つまり、真田幸村は骨の髄まで愛しぬいている相手、伊達政宗に心底惚れられ愛されており、これ以上ないほどに幸福だということだ。





幸村はキッチンに立つ恋人の後姿を眺めながら相好を崩していた。
幼さを残し、その表情の豊富さゆえにかっこいいという評価と同時にかわいいという男としてはいささか微妙な賛辞も頂戴している幸村であるが、愛想がよく人好きのするところがあるため、当然のように女性にもてるし友人も多い。しかし、今の幸村のだらしなく緩みきったにやけ面を見たのならば彼に対する評価を改めるかもしれない。それほどに、幸村の今の表情は見るに耐え難いものがあった。


しかし、その幸村の恋人こと伊達政宗はちらりと後ろを振り返り幸村と目が合うと頬を染めてあわてて作業に熱中しているふりをする。先ほどからそのくり返しで、その仕草すら幸村にとってはかわいくてしかたない。そのためますます幸村はにやけていくのだ。そして他の人から見ればだらしない幸村のにやけ面も、幸村を世界で一番いい男だと信じている政宗にとっては甘い笑みなのだ。


政宗は恋人の視線に胸を高鳴らせながら、それでも素振りはあくまで冷静に、気にしていることを気取られないようにと自分に言い聞かせながらもくもくと料理を続ける。料理は政宗の趣味であり特技である。凝り性の政宗は独学で料理を勉強し続け、今ではレストランを開いても恥ずかしくないほどの腕前だ。それに加え、今夜は政宗の料理を食べてくれるのが幸村なのだ。いつも以上においしい料理を作って幸村を喜ばせてやりたい、と政宗も真剣だ。誰に食べさせるよりも、幸村のために作る料理が緊張する。料理に自信はあるものの、その緊張は幸村が料理を口に運び、おいしいと相好を崩す瞬間まで続く。たとえ、一週間のうち五日間は幸村のために料理を作ってやっているとしても。


ところで、政宗は手際もいいし慣れてもいるため、その手つきに少しも危うげはないのであるが、時として思いがけぬ豪快な面も見せる。そのため、たまに勢いあまってケチャップや溶き卵を自分の服にかけてしまうこともある。また、洗い物をすれば服が濡れることも多々ある。気をつければいいだけなのであるが、作業を慎重にやろうと思うともともとのペースを崩されてしまう。政宗はひどく要領がいい人間であるために、自らのペースを崩されることも、手早くできるはずの作業の速度を故意に落とすこともしたくない。
ではどうすればいいのか。手っ取り早い解決法として、政宗は料理をする際に必ずエプロンをつけることにしている。幸村のアパートにご飯を作りに来るときも、必ず青いエプロンを持参していたのだが、近頃、幸村は政宗のために新しいエプロンを購入した。政宗の愛用しているエプロンと同じ、けれどそれよりは少し色が柔らかめの青いものである。ウエストにあわせて腰の周りに紐を半周させて前で結ぶタイプのエプロンであり、それは政宗の腰の細さを際立たせた。幸村がこのエプロンを選んだ理由はそこにある。
政宗は幸村がそれを自分のために用意してくれた、という点だけで大いに好ましいのであるが、それも自分の好きな青色であるということで幸村の邪な下心など気づかずに喜んでそれを使っている。



そろそろ料理も終盤に差し掛かってきたのだろう、鍋の具合を気にしながら盛り付けるための皿を取り出し始めた政宗を見て幸村は空腹を訴える腹をなだめるようにさする。キッチンからただようおいしそうな匂いがまた空腹に拍車をかける。
「幸村、待ってろよ。もう少しで出来上がるからな」
行儀よくご飯の出来上がるのを待っている幸村を見て政宗がにっこり笑いながら声をかける。

「何か手伝うことはございますか?」
「Ah-、そうだな。コップにお茶注いでくれるか?二人分」
不器用な幸村に手伝えることは少ないのだが、幸村は政宗と一緒にキッチンに立って食事の準備を手伝うことが好きだった。

(まるで新婚のようだ…)
エプロンをつけて幸村のために腕を振るう政宗をまるで新妻のようだと毎回飽きずに考える幸村にとって、この状況は一緒にご飯の準備をする新婚夫婦のようなものに思えるのだ。
この考えはあながち幸村のみのものではないようで、幸村の手伝いなどあってもなくても同じようなものなのだが、政宗は幸村がきけばできる限り仕事を与え、一緒にキッチンに立つことを喜ぶ。横顔しか見えないが、今も明らかに政宗は嬉しそうだ。
(かわいらしい人だ…)



テーブルに並ぶのは幸村のために作られた政宗の料理たち。白く輝くご飯にタルタルソース(もちろん手作り)のたっぷりかかったエビフライ、小さめのミートグラタンとポテトサラダ、クラムチャウダー。デザートには桃のムースが用意してある。
実においしそうな料理たちだ。どれも幸村の好物であるが、以前、一緒に入った店で頼んだエビフライにかかっていたタルタルソースに物足りなそうな顔をしたのを見ていたのだろう、たっぷりとかけられたそれがまた嬉しい。

「どれもこれもおいしそうなものばかりでござる!」
満面の笑みを浮かべて政宗を褒め称えれば、俺が作ったんだから当然だ、さっさと食え、と幸村を促す。けれどそっぽを向いたために幸村からよく見えるようになった耳が真っ赤になっているのだから本当に愛しいとしか言いようがない。

「はい、いただきまする」
幸村は身を乗り出し、腕を真っ直ぐ前に伸ばした。
「?」
その行動の意味がわからずきょとんとした表情の政宗に対しいただきます、と小さくささやいてからちゅ、と口付ける。
「!!!」
「政宗殿の作ってくださる料理はどれもおいしいものばかりで、政宗殿が作ってくださるのならば何であろうとも某の好物になりまする。しかし、某の一番の好物は、政宗殿ご自身にござる」

今夜、食事の後に思うが侭にそなたを食べてもよいであろうか?

「な、何言ってんだよ」
ぼん、と顔を赤くして落ち着きなくそわそわとしながらも決して首を横に振らない恋人の鼻の先にちゅ、ともう一度口付けを落としてから、幸村は心底幸せそうに笑った。





そう、幸福には形がない。つかみ所のないひどく曖昧で不確かなものであり、それでいながら万人がそれぞれに幸福というものを求めているのだ。
富・地位・名声。この三つが幸福を得るために人が望む主なものである。目に見える形でそれは存在するためわかりやすい指針となるのだろう。そしてこれに加えて愛を幸福の条件として求める者も少なからずある。愛は目に見えぬものであるが、目に見えぬものを信じることが出来るのならばそれは幸福の条件に必須ですらあるだろう。
そして、幸村は幸福の条件として唯一愛のみを求めるタイプである。しかし、愛といっても幸村の求めるそれはひどく限定的なもので、この世でたったひとりのそれしか幸村を幸福にし得ないのだ。それは即ち伊達政宗その人の愛であり、現在、彼の愛を独占している幸村は幸福の絶頂にいるのである。そしてなんとも幸福なことに政宗の幸福のために必要なものも幸村の愛であるのだ。二人の愛の形、幸福の条件はぴたりと重なり合う。
だから、幸村は政宗のことを
運命の人だと本気で思っている。
そしてそれは政宗にも同じことが言えるのだ。そしてそんな彼らのことを、一般的にはバカップルというのである。






バカップルとはえてして有害なものである。





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