・病のために山奥の屋敷に追いやられた政宗のもとに通う吸血鬼幸村








幾分かやつれた彼の頬に手をそえる。
すべてをゆだねるように瞳を伏せて手に擦り寄ってみせる彼がただただいとおしくてことばにできないほどの思いに胸がつまる。
「…」
唇の動きだけで名を呼べば、彼はそっと伏せた目蓋を持ち上げ俺を見た。
一つきりの美しい彼の漆黒の瞳。人ならぬ身の俺はこの夜の闇にも鈍らない目を持っている。そんな俺から見れば、夜闇に包まれる彼は陽光の下でみるよりも美しく思えた。
ただし、彼の美しさは池に張った薄氷のような、風切り羽を失った鳥のような、諸刃の剣のような。そんな、儚い危うさと背中合わせのそれであったけれど。



彼はもう長くは生きられない。俺はそれを悟っていた。彼を蝕む病はこうしている間にも生命を削って行く。
彼はすでにこの生に倦んでいて、終わりを求めている。けれど、生へ執着しない彼に、俺は執着している。
このまま、彼の望む終わりを見守るなんてそんなこと。



会うたびにやせていく彼の細い身体を腕に閉じ込める。
「…ゆきむら」
かつて病で右目を失った彼が再び癒え難い病を得たとき、彼の母親は躊躇わずに彼を山奥のこの小屋のような屋敷に追いやった。



必ず会いに行く。
病が癒えたのならきっと一緒に暮らそう。
毎日、病がよくなることを祈っている。
だって、おまえは妾の息子だもの。


赤い唇が歪んだ嘘を告げる。口元を嬉しげに緩めて、目で彼女は告げる。


これで漸く厄介払いができる、ああ、清々する。
早く死んでおしまいなさい。
この、化け物。
おまえが死ねば、それですべてうまくいくのだから。



彼はそれに気づいていた。
気づいた上で、病に苦しみながらそっと笑った。
『はい、母上』
ただそれだけをこたえ、病の身に無理を押してこの山奥に来たのだ。



一向によくならない彼の病。
決して会いに来ようとはしない母親。

薬に少しずつ混ぜられた毒。
彼はそれを知っている。だが、それ以上に彼を蝕んでいるのは美しい母親の紅に彩られた形よい唇からこぼれる言の葉に含まれた毒なのだということも、彼は知っている。

ゆるやかに死を待つ彼。
毒が含まれていると知りながら薬を飲み続けるその行為は、まるでゆるやかな自殺。
そうして世界から切り離されたこの山奥で静かに息絶えるその日を望み続ける愚かな彼を愛してしまった何よりも愚かな俺は。



「…どうか、詰ってくだされ。憎んでくださってもかまいませぬ」
首筋に指を這わせる。彼は一つきりの瞳で俺を見つめる。
「某は、今から、罪を犯そうとしている」
白い肌。透き通るように、青白い、けれど美しい彼の肌。
「己の欲望のために、そなたから、そなたが何より望むものを奪おうとしている」
細い首筋に唇を、牙をよせる。

彼は少し笑って、全身の力を抜いた。
「なあ」
自ら顔をそらせ挑発するように首筋をさらしてみせる。
「あんたは思い違いをしている」
瞳を閉じて、口元に笑みを浮かべて彼はささやく。
「俺の一番欲しいものを、おまえは知らないんだ」
教えてやろうか。

「政宗殿…」
俺の肩に背に、回される細い腕。やせ細ってしまった彼の腕。掴めば指があまってしまうほどに細い彼の腕。強く抱きしめれば折れてしまうのではないかという危惧をいつも抱く。
「俺が一番欲しいのは終わりなんかじゃない。否、俺は確かに終わりを渇望している。でも、本当は。それ以上に、欲しいものがあるんだ。あんたが俺にそれをくれるなら、俺はあんたを詰らないし、憎まない。なあ、あんたは俺にくれるか?俺の本当に欲しいものを」
そう言って彼は目を開けて俺を見つめ、笑う。狂い咲いた桜のような魔性を持つ美しさ。
「俺が一番に欲しいのはな、幸村。俺を一番に愛して、永遠にそばに居てくれる存在だ」
あんたは、ソレになってくれるのか?



ああ、なるほど。
嫣然と微笑む彼に見惚れながら、俺はひどく得心した。
彼の母親は彼を化け物と罵ったけれど。それはあながち間違った表現ではないのかもしれない。彼の美しさはあまりにも人間ばなれしている。あまりにも整った彼の容貌。失われた右目が彼の美しさを際立たせている。欠けているからこその完璧な美がそこにある。絶望を知る彼のそこはかとない闇が、影が、彼の危うさを煽り、えもいわれぬ美を、魔性を生むのだ。病み衰えるはずの容貌はむしろ妖しい美しさを増していて。
人に過ぎたるこの美は確かに化け物じみて恐ろしかろう。


「御覚悟召されませ」
細い首筋。白い肌に薄く青く見える血管をなぞるように舌を這わせた。
「そなたは某のためだけに生き続けなければならない。某にめでられ、いとおしまれ、あいされるためだけに。そなたは永遠に某のもの。たとえそなたが泣いていやがろうとも、某は何があろうともそなたを手放したりはいたしませぬ」
ささやきながら、そっと牙をたてる。彼の首筋につきささる俺の牙。一筋だけ流れた血はどこまでも赤く、彼の肌の白さと相俟ってひどく淫靡で、背筋に歓喜ゆえか快楽ゆえか震えが走る。
「ゆきむら」
どこかうっとりとしとしたふわふわした声音で彼が俺の名を呼ぶ。
首筋を伝った一縷の血は白い夜着に吸い込まれ、染みとなる。それはまるで決して消えはしない罪の証のようにも思えた。
「…」
血を吸いやすい角度に固定するために添えた手にわずかに力をこめることで応えれば、彼は、ひどく幼い口調で言った。
「あいしてる」

くすくすと微笑む気配。ああ、今の彼の表情を見れないのがとても悔しい。きっと、彼は頑是無い子供のように無邪気に、幸福そうに笑っているに違いないのに。そしてそれはどこか狂気すら孕んで俺を魅了するほどに美しいに違いないのに。



病に蝕まれ毒に侵された彼の血はけれどひどく甘く、罪と幸福の味がした。









あなたを人でないものにしてでも、一緒にいたかった。




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