・現代
・転生
・前世において幸村は大阪夏の陣で死にました
・前世において政宗は男でした
・今生では政宗は女です
・今生では幸村は政宗と同い年です
蛍二十日に蝉三日
儚いもののたとえだ。しかし、この暑さを掻き立てるような蝉の大合唱のどこに儚さがあるだろう。人々に憎々しげに睨まれようとも、子どもたちに網を持って追いかけられようとも小便をひっかけて逃げては鳴き続ける図太さのどこに。
伊達政宗はため息をついた。蝉が嫌いなわけではないがこうも騒がしければ邪険にもしたくなる。騒ぐだけ騒いで気が済んだのならばところかまわず息絶える。いっそ見事なまでの図々しさである。その往生の様はいっそ天晴れとも言える。わめくことしかできない馬鹿は嫌いだが自らの生き様に迷いのないものは好ましい。政宗の嫌いな夏の暑さを引き立たせる存在でなければ少しは好感も抱けたかもしれない。
そこまで考えて政宗はふとある男のことを思い出した。
なるほど、あの男は動物に喩えるのならば犬であるが、虫に喩えるのならば蝉が似つかわしいだろう。
政宗がどれだけうるさい暑苦しい邪魔だ馬鹿どっか行けと文句を言おうとも少しも堪えた風を見せずに笑っていた男。根負けするのはいつも政宗だ。あの夏の大阪で蝉のごとき潔い大往生を遂げた男。どこまでもまっすぐで嘘を吐けず自分の生き方を貫いた愚かな男。
(蝉なんて…)
汗が額を伝う。暑い、頭がくらくらして思考がまとまらない。だから夏は嫌いだ。暑いのも、熱苦しいのも、きらいだ。夏も、あの男も。あつくて、政宗の思考を掻き乱すのだから。
(夏、茹るような暑さ、焼け付くような熱、鮮血、恐ろしいまでの赤、あの男の色)
『きっともう…政宗殿のお目にかかることもないでござろう』
頭が痛い。胸が痛い。心が痛い。
自らの心が叫ぶまま、己の生き様を貫いて俺をおいていった薄情な男。
遺されたものの気持ちなんて考えない身勝手な男。
『幾星霜、幾年月。どれほどの四季が、夏が巡ろうとも某はきっとそなたのもとに戻ります。ですから、政宗殿』
ふと見下ろせば足元に蝉の屍骸が落ちていた。生憎と虫には詳しくないのでこの蝉がなんという種類のものなのかはわからない。
少し離れた場所には、羽だけが落ちていた。本体はほかの虫か鳥にでも食べられたのかもしれない。近づきかがみこんだ拍子に顎を伝った汗が堪えきれずに地面に染みをつくった。
せっかくのデートなのだと気合をいれておしゃれをしたけれど、こうまで暑いと汗ですべてが台無しになってしまうだろう。そもそもこの俺を炎天下に待たせるだなんていい度胸をしている。あの男、どうしてくれようか。政宗が約束の時間より早く来てしまっただけなのだが、暑さで冷静さを失った思考はひたすら男への文句を連ねるばかりだ。
あいつが来たら喫茶店に入って、ティーフロートでもおごってもらおう、と考えながら地に落ちた透明な羽に指を伸ばす。普段ならば触ろうとも思わないそれを拾い上げたのは、蝉にあの男を重ねてしまったからなのかもしれない。
何の意味もなく拾い上げたそれをふと日にかざしてみる。
透き通る透明な羽は、なぜだかとてもきれいなものに見えて政宗は八つ当たりに近い感情で憤慨した。
蛍二十日に蝉二日?
蝉は儚くなどない。ただ迷惑なだけの生き物だ。うるさくて、暑苦しくて、うっとおしい。だが、何より許しがたいのは羽を持っていることだ。
政宗はその昔、どれほど翼在るものにあこがれただろう。蝉の羽と鳥の翼はまったく種類の違う類のものであるが、空を飛べるという点において両者は共通している。
(あの空を飛んでみたかったのに)
「おまえのせいだ」
そっと政宗を覆った人影に唐突な恨み言を向ける。
「は?」
案の定、男はどうしたものかと戸惑ったように眉を八の字に垂らした。
「おまえが悪い、なにもかも」
「…」
「俺が夏を嫌いなのも、大阪が嫌いなのも、あついのが嫌いなのも、蝉を嫌いなのも、鳥になれなかったのも、赤いものを目で追ってしまうのも、今日のこの猛暑も、全部、全部おまえが悪い」
立ち上がりはしたものの、蝉の羽を日に透かしながら男を振り返ることもせずに政宗は理不尽な八つ当たりを続ける。
「おまえのせいで俺は鳥になれなかったんだ。おまえが勝手に俺に約束をして、勝手に死んでしまうから、俺はおまえに文句を言うためにまた人に生まれなければならなかったんだ」
おまえさえ、おまえさえいなければ。
背を向けたまま恨み言を言い続ける政宗がいとおしくて、男―真田幸村は、たまらずに細い背中を抱きしめた。
「申し訳ござりませぬ、政宗殿」
「…」
「けれど、某、手前勝手なことばで政宗殿をこの地上に留めたこと、微塵も後悔しておりませぬ」
あつい、文句を言いながら政宗は身体を反転させる。至近距離で二人は見詰め合うことになり、幸村は間近に見る政宗の顔に顔をほころばせたが、政宗は相変わらず仏頂面のまま幸村をじっと見つめる。
「おまえは蝉に似てる」
「蝉、ですか?」
「暑苦しくて、うるさい。そっくりだ」
おまえみたいなのがいるから夏がもっと暑くなって、地球もどんどん熱くなっているんだ。
温暖化まで幸村のせいにする政宗の理不尽さと裏腹にすねたような口ぶりと表情がかわいくていとしくてたまらなくて、幸村はますます口元を緩める。
「…確かに、某は蝉に似ているかもしれませぬな」
肯定を返す幸村が以外だったのか、政宗がきょとんとしている。嫌味のつもりが素直に受け入れられてしまったので、驚いているのだろう。
「政宗殿は、蝉がなぜかように鳴くのか知っておりますか?」
「…No」
「某、幼き頃に不思議に思って佐助に聞きまいた。なぜ、蝉はああも日がな一日鳴き続けているのか、と」
幸村は政宗の顔をのぞきこんでにっこり笑う。
「佐助が言うには」
その笑みに政宗の胸は甘くうずく。
「蝉の鳴き声は、あれは求愛ゆえのものなのだと。某も、同じでござる。遠いあの日よりずっと、政宗殿の愛を求めて鳴き続ける蝉でござる」
そう言って政宗の手を握る男は、少しからかっただけで顔を真っ赤にして破廉恥!と叫んでいたあのころの少年の面影を残しながらもひどく男くさい笑みを浮かべていて。
うっかり胸を高鳴らせながら、政宗はため息をひとつ吐いた。
身分の差も年の差も乗り越え、異なる性別に生まれつき、愛し合うのになんの障害もなくなった今、躊躇いを捨てた幸村はてらいなく全身で政宗に愛を告げる。政宗はそれに戸惑い照れながらも悪い気はしない。遠いあの日から想い続けていたのは、政宗だって同じだからだ。
(鳥にはなれなかったけれど、きっと、幸村も俺も今は自由という名の透き通る銀の羽を持っているに違いない)
だって、こんなにも幸福なのだから。
今の政宗の漏らすため息は苦悩ではなく、幸福ゆえの甘さを持っている。
政宗は幸村ほど素直ではないから、言葉にする代わりに、つながれた手をぎゅっと握り返して、少しだけ幸村に身を寄せ、寄り添って歩いていく。
きっと、これからも、ずっと一緒に、二人はそうやって歩いていくのだ。
もう二度と、道を違えることなどないように。
二人は一緒に生きてゆくのだ。
透き通る銀の羽
僕の背中には羽がある、きっと、君の背中にも
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