この世界に二人、自分自身よりも大切で何を犠牲にしても守りたいと思えるほどに愛する人がいる。
一人は、妻
もう一人は、幼い娘
妻は体が強くなかった。
子供を生むのは、ムリだろうといわれていた。
それでも、彼女は周囲の反対を押し切って子供を生んだ。
奇跡的に、母も子も無事だった。
裕福ではないが、貧しくもない、平凡な、それでもとても幸せな三人での生活が始まった。
嘘みたいに、幸せだった。
この二人のためならなんだってできると思った。
だが、幸せは長続きしなかった。
物語のように“いつまでも幸せに暮らしました”とは続いてくれなかった。
娘は、病を患った。
薬は高価で、治療費も膨大な金額だった。
なんとしてでも、娘を助けようと思った。
私にできることならば、なんでもしよう。
愛する娘の未来のためなら、なんだってできるだろう。
『適合者だな』
な…に……?
『おまえはイノセンスに…神に選ばれた者だ。エクソシストとして戦い、世界を破滅から守る義務がある』
イノセンス?
エクソシスト?
義務?
そんなものは知らない。
私が守りたいのは世界ではなく家族だ。
優しい妻とかわいい娘だ。
今の幸せだ。
この子の未来を、私は守らなくては。
『…おまえが速やかに教団にくるのなら、エクソシストになるというのなら、この娘の治療費はすべて我々が負担しよう。無論、おまえの生活も保障する。悪い条件ではないと思うが?』
私が…私がそこに行けば、娘は治療を受けられるのか?
手が届かなかった高価な薬も、最新医術での治療も?
私が、そこに行けば娘は、助かる…?
あの子の未来を、取り戻せる……?
『言っておくが、おまえに拒否権はない。…条件を、呑むな?』
その言葉に、うなずいた。
躊躇いは、あった。
うなずいた瞬間から、そのことを後悔したりもした。
でも、私は…
「行かないで…ぇ」
「あなた…」
向けられたのは、涙顔。
「やだよう」
誕生日にプレゼントした熊のぬいぐるみを抱いて、あの子は泣きながら私を目指して走ってきた。
「パパぁ…」
「やだよぅぅ…っ」
涙をぼろぼろ流して、めったにわがままを言わないあの子が泣きながら追いすがってきた。
ジェイミー…
最愛の娘。
願うのはその幸せ。
その笑顔。
おまえの未来を取り戻しに、私は行くよ。
だから、泣かないでお父さんの帰りを待っておいで。
誓うよ。
帰ってくると、誓うよ。
何を犠牲にしても、きっとこの場所に戻ってくる。
戦って、何を失ったとしても、必ず此処に私は帰るよ…。
(身体が朽ちて、魂だけの存在になったとしても、きっと)
愛する人たちに、許されない嘘を言った。
『命を落とす可能性も、無論、ある。だが、このままここで暮らしていればおまえの持つイノセンスを狙うAKUMAがやってくるだろう。そうすればおまえは勿論のことおまえの大事な家族も無事では済むまい』
きっと、生きては帰れない。
もう、二度と会えない。
愛する人たちに会うことは、かなわない。
これが今生の別れ。
永遠(とわ)の別れ。
「いってきます」
いってきます
いってきます
この世の地獄へと
私を縛る牢獄へと
死出の旅へと
いってきます
いってきます
表向きは世界のため
本当の心は愛するもののため
いってきます
いってきます
もう二度と会えないけれど
おまえたちの幸せを願ってゆくよ
どうか、笑っておくれ
いってきます
いってきます
愛してるよ、私の家族
離れていても、ずっとずっと愛しているよ
「パパぁ…」
「あなたが帰るのを…待っています。必ず、帰ってきてください。この子のために、私のために、…あなた自身のために」
「早く来い。いつまで待たせるつもりだ。もう、別れは存分に惜しんだだろう?」
いつまでたっても船に乗り込もうとしない私にじれたのだろう、苛立ちの混じった声で教団の男が催促する。
「…いってくるよ」
その言葉を最後に、私は家族に背を向けた。
何度も、何度も妻と幼い娘を振り返って肩越しに見やった。溢れる涙をぬぐおうともせずに、二人とも私に手を振っている。
どうか、生きていておくれ。
私に、夢を見させておくれ。
遠い空の下でも、おまえたちの住むいとしいこの場所と繋がっているのだと思わせておくれ。
いつか、おまえたちの元へ戻れる日が来る、と信じさせておくれ。
くるはずもない再会の日を思い浮かべ、わたしはそっと心に涙を流した。
いってきます
いってきます
…逝ってきます
心から愛しているよ
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