この、血に濡れた手では
「……ん………っは…ぁ」
長いキスを終え、ようやく唇を離すと、シカマルはくたりとアスマの胸にからだを預けた。
「大丈夫か?」
心配そうに…というわけではなく、からかうようにアスマが声をかけると
「んー…」
まだキスの余韻が残っているような、気の抜けた返事が返ってきた。
「……」
力の入っていないシカマルの細いからだを抱き寄せ、ついでに髪の毛を解く。パサリと、髪の毛が背中にかかる音がした。
「キスするのって、なんか好き…」
髪の毛を適当に手でいじっていると、シカマルがぽつりと言った。
「初耳だな」
意外だ、という思いを隠さずにアスマが言う。
「本人でさえ、ついさっき気づいたのに言ったことあるわけないだろ」
シカマルは、他人事のような口調で答える。
ついでに、まだほとんど力の入らないからだを起こしてアスマの唇に軽くキスをしてみた。
「めずらしいな、おまえがこんなに積極的なのは」
揶揄するような口調で言えば、シカマルは少しだけ頬を赤く染めてそっぽを向いた。
「別に、いいだろ…」
「誰も悪いなんて言っちゃねえだろう」
そう言って今度は少しかがんでアスマからシカマルにキスをする。
「あー…アレかも」
唇が離れると、シカマルが口を開いた。
「なんだ?」
「他人の体温ってさ、なんか気持ちよくね?」
「ああ…夏はうっとおしいけどな」
「うん。でも、なんとなく落ち着く気がする。…だから、キスが好きなのかも」
今度は、それを確かめてみるかのように少し力を込めて抱きついてきた。シカマルがここまで素直なことなんて、めったにないので、思いっきり楽しもうとアスマはにやにやしながらその様子を見ている。
「うん。やっぱり、落ち着く」
触れ合っている箇所からぬくもりが流れ込んでくるかのような錯覚を受ける。
「あったけー」
「おまえが冷たいんだよ」
「んー…」
「普通、ガキってのはあったけーもんなんだけどな」
「じゃあ、ガキじゃないんだろ」
ガキ扱いされたことに少しむっとしてシカマルが言い返すと、アスマはその反応にのどの奥でくつくつと笑った。
「まーな。ガキはこんなことしねぇもんなぁ」
そう言って、からだを反転させてシカマルを組み敷いた。
「……オイ」
「どうした?」
シカマルが言いたいことなんて百も承知でアスマは知らんふりをする。
「どけ」
「はいはい」
最初から本気でするつもりのなかったアスマは、シカマルの言葉にあっさりと従う。
「でも…」
横に並んだアスマが腕を伸ばして、シカマルのまぶたの上に手を重ねた。
「…?」
行動の意図がつかめなくて戸惑うと、アスマはいつもの飄々とした声音に、少し真剣な色を織り交ぜて言った。
「おまえ、ここんとこまともに寝てないだろ。疲れた顔してるぞ。…また、いつ任務がはいるかわかんねえんだから、今はゆっくり寝とけ」
「…あんたの手って、でっかいよな」
「シカマル」
話をそらされたと思ったアスマは、とがめるように名前を呼ぶ。
「わかってる。でも、いいな…と思ってさ。でっかくって、あったかくって、安心できる。あんたの手、スキだぜ。少し煙草くさいけど」
「…キライか?」
「いーや、もうあんたの匂いになってるし、嫌いじゃない」
くすくすと、シカマルが小さく笑った。
眠くなってきたのだろう、いつもよりも幼い感じがする。しゃべりかたも、声も、表情も。
「オヤスミ。…起きたときも、そばにいてくれよ」
「ああ。…そばにいてやるよ」
シカマルのソレよりもずっと大きな手がまぶたを多い、光を遮断する。伝わってくる暖かさと、アスマの手によってつくられた暗闇に誘われるように、シカマルは程なく寝入り、静かに寝息を立て始めた。
シカマルが寝入ったのを確認すると、アスマはそっと、手をシカマルのまぶたの上からどける。
「…もう、数え切れないほどの命を奪ってきた手なんだがな」
ぽつりと、自分の手を眺めてアスマがつぶやいた。
さっき、シカマルがスキだと言ってくれたこの手は、血に染まっている。
きっと、シカマルが思っている以上に自分は多くの命を奪ってきているだろう。
考えれば考えるほど、ネガティブになりそうだったので気分を変えるために煙草をくわえた。
そういえば、自分はいつから煙草を吸い始めたのだろうか。気がつけば、精神安定剤の代わりにしていた気がする。それでも、最近は昔に比べれば少なくなった。もしかしたら、今、隣で寝息を立てている子供が現在の自分の精神安定剤なのかもしれない。
「ん…」
シカマルの眉根が、不快そうにぎゅっと寄った。
「ぅ…う……」
何かを求めるかのように、腕が少し動いた。
「………」
「ん…」
手を握ってやると、安心したかのような表情になり、また、すーと寝入った。
「ガキだな…」
思わず、つぶやく。
うなされていた理由は、なんとなく予想がつく。だが、手を握ってやったくらいでこんなにあっさりと安心するなんて、やっぱりガキみたいだ。
「…にしても」
もう一方の手を、見る。
自分の手は、あまり好きではなかった。
こんな、血に染まってしまった手では大事なものに触れることはできないと思っていた。
だが、この手をシカマルはスキだと言ってくれた。
今も、この手の存在で、シカマルが安心してくれた。
もしかしたら、自分が思っていたよりもこの手には価値があるのかもしれない。
少なくとも、シカマルが好きだといってくれるのなら、今の自分には何よりも価値があるものなのかもしれない。
「…ありがとな」
眠っている少年に、心からの感謝を込めてささやいた。
自分の手を少し好きになれた、気がした。
君の手の温もりが僕を正気に返してくれる
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