そんな日常〜日向家ver.〜

「おかえりなさい」






久しぶりに、この里に戻ってきた。


3ヶ月ぶり…だろうか。
里を出たときはまだ寒かったような気がするが、今は暖かいを通り越して日中は暑くさえ感じる。



『帰ってきた』



とは、まだ思えない。


オレが帰る場所は、この“里”ではないから。



オレが“帰る場所”は―――








「次の方、どうぞ」


促されるままに書類…任務報告書を受付に提出した。


「ああ、お帰りなさい。お久しぶりです」


受付の人は、オレの顔を認めてにっこりと笑い、そう言った。


「こんにちは」


挨拶をすると、受付の青年が少し笑ってうなずくのが見えた。
感じのいい青年で、結構気に入っている。


「はい、確かに受理しました。お疲れ様でした。…お疲れのところ悪いですけど、2階の渡り廊下まで行ってもらえますか?」


「渡り廊下…ですか?」


正直、気が進まなかった。
疲れている…というのはたいしたことではないが、オレは早く“帰りたい”のだ。


「ええ。ちゃんと行ってくださいね」


「誰からの伝言です?」


にこやかに、だが拒否させない強さを持って、彼はもう一度言った。


「行けばわかるので、さっさと行ってください。オレが伝え忘れたと思われたらヤですから」




この目の前でにこやかに笑ってみせる青年の、こういうところが結構気に入っている。









いつからか、気配を殺すのが癖になってしまっていた。
そうしないと、生きていけなかったから。
最初のころはものすごく苦労したソレが、今は呼吸をするのと同じくらい自然にできている。


最初からこうだったら、あとほんの少しだけ、生きるのが楽だったかもしれない。


時々、そう考えてはくだらない思考を欠伸と共に外界に放出する。



そういえば、ここのところあまり寝ていない。

外では、あまりよく眠れない。

本当に安心できる場所っていのは、本当に限られていて、でも、そこじゃないとしっかり眠ることができない。



オレは、早く帰ってぐっすりと眠りたかった。



というわけで、自然と足早に指定された場所へ向かう。


と、そのとき。

突然、背後に気配を感じた。


「!」


驚いて振り向くよりも先に、気配の主が口を開いた。




「おかえり」



「!」



その言葉だけで、十分だった。
気配の主が誰なのか一発でわかったし、オレは“帰ってきた”のだと感じることができた。



「ただいま」



作ったものでも意識したものでもない、ごく自然な笑みが口元に浮かぶのを感じた。




「姉さん」




振り返って、大切な姉を見た。




「ただいま」




もう一度言うと、嬉しそうな顔が見えた。




「おかえりなさい」




昔から変わらない優しい微笑を浮かべて姉さんはそう言うと、もう一度口を開いた。



「萩」



久しぶりに、名前を呼ばれた気がした。
実際には、任務の最中に何度も呼ばれたはずだけど。
やっぱり、大切な人に呼んでもらうのが、いい。
それだけで、自分の名前が生きてくるような気がする。
気がする、だけかもしれないけれど。



「ネジとレイが家で待ってるわ。早く帰りましょう」



にっこりと笑って、オレを促すオレをここに呼んだ張本人であろう人は踵を返した。



「…………」



とりあえず、自分もさっさと家に帰りたかったのでコメントは避けておくことにした。









「萩、怪我はない?」


機嫌がいいらしい姉は、僅かに笑みを浮かべながらオレの隣を歩いている。

「ない」

短く言い切ってから、ふと姉を見ようとして、少し視線を下げなければ目が合わないことに気づいた。

そうして、改めて姉の細い肩に気づく。

姉はこんなに華奢だっただろうか?


「姉さん…小さくなった?」


思わずつぶやくと、にっこりと笑う顔が目に入り、それと同時に白くて細い腕が伸びてきた。



ぎゅぅっ



「…ねえひゃん」

思いっきり頬をひっぱられ、思わず不満たらたらな声を出す。
我ながら情けないとは思うが、頬をひっぱられた状態ではちゃんとした音が出ない。



「萩、いーい?」



にこにこと笑いながら、姉は言った。




「なんで私が小さくなんなきゃいけないの。あなたが大きくなりすぎただけに決まっているでしょう。っていうか、あなたが私の背を抜かしたの、いつの話だと思っているの?」




にこにこと笑っていながらも、その口調には有無を言わせない迫力がある。
先ほどの受付の青年なんて、比べ物にならない。




「…もう、ずっと前の話よ。まったくもう。昔はあーんなに小さくて可愛かったのに」




ほんの少しだけ、姉の声音に昔を懐かしむ色が加わった。
きっと、幼いころのオレの姿を思い出しているのだろう。


「……」


そっと、オレの頬をひっぱる手をはずさせた。


「今頃、気づいたの?あなたが私の背を抜かしたことに」


いつの間にか止まっていた足を再び動かし、また二人で並んで歩いた。



「…オレの昔の目標は、姉さんの背を抜かすことだったんだ」



前を向いて歩きながらそう言うと、いきなりの言葉の意味をとらえかねているのだろうか、訝しげな気配が感じられた。



「んで、いっつもオレを守ってくれる姉さんを今度はオレが守りたかったんだ。やっぱり、さ。守られっぱなしってイヤだったし」



そして、今度は姉の顔を覗き込んでにっこりと笑って見せた。


「だから、姉さんの背を抜かしたことに気づいたときは、本当に嬉しかったんだぜ。でもやっぱりオレは守られてばっかりだったんだよなー。…それが、少し悔しかった」


「萩…」


少し困ったような声を出した姉にもう一度笑って見せて、それから少し冗談めかして言った。



「やっと守れるようになった、って思ったころには、ネジ義兄さんが姉さんのこと守ってただろ?だから、オレの出る幕がなかったんだよなぁ」



少し、姉さんの頬が赤く染まった。
照れているのだ。


「萩!」


照れ隠しのように少し大きな声で姉さんがオレの名を呼ぶ。
視線を前に戻して、少し声を上げて笑った。


「まったくもう…。……萩、あなたは私があなたを守っていたって言ったけど、でも、私はあなたにとても守られていたわ。あなたがいなかったら今生きているかどうかも定かじゃないもの。…ありがとうね、いつもそばにいてくれて。ありがとうね、大好きよ」


とてもとてもキレイで透明な声で、姉さんが言った。
その言葉だけで過去の自分の努力が報われたような気になれる。
やっぱり、オレは姉さんには弱いと思う。

心のそこが、すごく温かくなって、熱すぎるくらいだと思った。





「今のオレが守りたいものは姉さんと、ネジ義兄さんと、レイの幸せだよ」





「…」



「だから、さぁ」



「…なあに?」






「姉さんは、オレの努力に報いるためにも、ずっと幸せでいてくれな」






冗談めかして言った、オレの今の心からの願い。
オレにとっての最重要事項だ。


「あなたが、今から私の言う条件を呑んでくれるのなら、いいわよ」


てっきり笑ってうなずくと思っていたのに、一筋縄ではいかない姉はそんなことを言った。



「…なに?」


聞くと、姉さんは悪戯っぽく笑って指を1本だけ立てた。



「条件は一つよ。でも、すごく重要なことだからあなたに拒否権はないわ」



こういうところは、昔から変わっていないと思う。
昔から変わっていないこういうところが、姉さんの姉さんたる所以のような気がして、結構好きだ。






「私の示す条件は、あなたが幸せでいること。それだけよ。簡単でしょ?」







にっこりと、今日見た中でも極上の笑みを浮かべて姉さんが言った。

それでもやっぱり有無を言わせない口調だった。
“拒否権はない”と、ああも堂々と言われてしまうとこっちも拒む気がなくなる。
第一、この条件は拒否するような内容ではない。
オレだって、幸せでいたい。
これを拒否するということは幸せでいたくないということだ。
ただ、何をもってして“幸せ”というかは人それぞれだけれど。


「努力するよ」



生きていく以上、“絶対”は、ない。
でも、努力はできるから。
少しでも“絶対”に近づけるように、努力をする。

そういう意味での、『努力する』だ。



オレの答えに満足そうな顔をしたあと、姉さんは少し歩調を速めた。


「?」


理由がわからなくて視線でたずねると、姉さんはさらに歩調を速めながら言った。



「なんだか、早くネジとレイの顔を見たくなっちゃった」



その言葉にナルホド、と思う。
言われれば、オレも早く義兄と姪に会いたくなってきた。



「急ごうか」



合図もなく、オレたちは同時に駆け出す。
この辺はさすが姉弟、息もぴったりだ。








全速力でかけると、すぐに家についた。



「萩兄!」



そして、およそ3ヶ月ぶりに可愛い姪との再会を果たした。
家の前で待っていてくれたのだ。



「おかえりなさい!」



自分の姿を見てこんなにも嬉しそうに笑ってくれる少女を見ると、なんとなく癒される気分になる。


「ただいま」


自然、顔にも笑みが浮かぶ。



「萩、おかえり」



レイの頭をなでてやっていると、そう言われた。
顔を見なくても、声でわかる。
深い、優しい声だ。
この人の声を、実はかなり気に入っている。




「ただいま戻りました。ネジ義兄さん」




らしくもなく畏まってみた。
顔を上げて視線を合わせると、少し笑みを湛えた義兄の姿が目に映った。



「怪我はないみたいだな。…よかった」


口先だけではなく、本心からの言葉だと、その表情から容易にわかる。
不器用で、己の感情を表に出すことを苦手としているみたいだが、実は親しい人から見れば結構わかりやすい。

「おかげさまで」

そう言うと、少し笑みが深くなるのが見えた。




やっぱり、ここに帰ってくるとほっとする。
オレの居場所はここにある。



ネジと、椿と、レイ。



この3人のいるところが自分の帰る場所なのだと思える。

自分が帰ってきたことを、こんなにも嬉しそうに受け止めてくれる人たちがいる。





自分は幸せなヤツだと、そう、思った。






帰る場所のある幸せ。
笑顔で出迎えてくれる人のいる幸せ。





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