暖かい場所
「こんなとこで寝てる…」
呆れたようにつぶやいたのは、長い髪を頭上でくくった女性。
かなりの美人な部類に入るその女性は、呆れたようにため息を吐いた。
「まあ、ここのところ任務が忙しかったみたいだからしょうがないけど…」
その視線の先には、炬燵(こたつ)で幸せそうに居眠りをする夫がいた。
普段はきっちりと結わえられている髪の毛が、今は下ろされている。
「シカマル、ほら。こんなところで寝てると風邪引くわよ」
広い木ノ葉の里の中でもトップクラスの頭脳を持つ彼は、五代目火影の代から火影の側近…というよりは補佐という形でこきつかわれ…もとい、重宝されている。そのため、多忙な日々を彼は送っている。
最近では、火影の代替わりなどもありどたばたとしていた。
そして、新しく火影を襲名にした彼らの友人は、実践向けの人間だった。
はっきりいえば、書類仕事…デスクワークに関する能力は、まったくなかったのである。
結果、先代の火影の時代から深くそちらの仕事に関わっていたシカマルは現代の火影の補佐として、またもや酷使され…じゃなかった、重宝され、他人よりも、ちょっと、大分、かなり、仕事の量が多いのである。それだけでかなりの量な仕事だというのに、プラス難易度AやS、もしくはそれ以上の暗号の解読も彼の元に廻ってくるのだ。
書類仕事のほうは、いのの親友である桃色の髪の女性が仕事を分担しているためまだいい。だが、彼女は暗号解読があまり得意ではなかった。
幅広い知識と柔軟な思考、そしてそれらを活かすだけの応用力がなければ暗号解読はできない。
しかし、彼女は頭がよく、シカマル同様この木ノ葉でも指折りの頭脳の持ち主ではあったが、シカマルに比べれば必要な知識が絶対的に足りない。知識の量云々ではなく、偏りがあるために幅広い知識を必要とする暗号解読には向いていないのだ。そして、なにより良くも悪くも真面目な彼女は、柔軟性が足りない。
それに、ただでさえ凄腕の医療忍者として多忙でもあるのだ。これ以上彼女の仕事を増やせば、里に対する被害もなんのその、彼女の夫にシカマルは殺されてしまうであろう。
まあ、シカマルも黙って殺されるような素直なタマじゃないけれど。
にっこりと笑ってサスケを脅すことができるのは、里広しといえどもシカマルと…あとは、カカシくらいだろうか。
「ほら、シカマルってば」
「ん〜」
肩をゆするが、起きる気配はない。
かなり疲れているのも、ここ数日の彼の仕事量を考えれば納得がいく。
5日間の国外任務から帰ってきた彼を出迎えたのは、山積みとなった大量の書類と暗号文を片手に待ち構える情報部の人間だった。面倒くさがりの割りにお人好しで、押しにも弱いシカマルは、任務で疲れた体に鞭打って3日徹夜をし、その間も次々と運び込まれる書類と彼が不在の間にためこまれた書類を片付け、先刻やっと帰ってきたばかりなのだ。
寝かせてやりたいのは山々だが、ここで風邪を引かれるのも、イヤだ。
「どうしようかしら…」
少し考えた後、彼女はいったん部屋を出てどこかへ行った。そして、すぐに戻ってきて壁にもたれて座ると、小さくゴメンねとつぶやいてから夫に向けて印を組んだ。
「心転身の術」
がくりと彼女の体から力が抜ける。そして、眠っていたはずのシカマルが動いた。
「悪いわね、シカマル。私の力じゃあんたを布団まで連れて行けないのよ。我慢して頂戴」
自分の体に向けて、男の声が女の言葉遣いで語りかける。
シカマルに入ったいのは、炬燵からでると部屋を出、先ほど布団を引いておいた部屋に行った。そして、布団に寝そべりしっかりと布団をかけると印を組んで“解”と短く唱える。
その瞬間、先ほどまで動いていたからだから力が抜け、規則正しい寝息がシカマルから漏れ出した。
「大丈夫かしら?」
術を解いて本来の体に戻ったいのは、一応シカマルの様子を見に来た。ぐっすりと眠っているシカマルは、寝やすい姿勢を求めて身じろいだのだろうか。布団が少しめくれていた。
その様子にくすりと微笑んで、いのは布団をかけなおす。
「おやすみなさい」
気持ちよさそうに眠っている夫の髪を軽く指で梳いてから、いのは部屋から出て行った。
部屋を出ると、ちょうど長女と長男が帰ってきた。
シカマルゆずりの黒髪と、微かに青みがかった黒い瞳の双子だ。
「おかえり」
「「ただいま」」
揃えたかのように息ピッタリな双子を見て、少し笑うと長女が尋ねてきた。
「父さん、もう帰ってきた?」
「うん。さっきまで炬燵で寝てたから、今、部屋に寝かせてきたところ」
「やっと開放されたんだね」
キョウが、少し笑って言うと、アスカは
「でも、またすぐに誰かが『奈良さ〜ん』って泣きついてくるんじゃない?」
と言う。今までに何度もあったことなので、冗談にならない。キョウは苦笑いをしながら
「まあ、いつもの事とはいえいい迷惑だよね」
さらりと、結構ひどいことを言う。
「まったく、シカマルも働きすぎよね」
いのも、同意する。
「でも、父さんしかやれる人がいないし、しょうがないんじゃない?」
苦笑しながら、アスカが一応フォローをすると、母と弟はため息を吐いた。
と、丁度その時
ピンポーン
家のチャイムがなった。
思わず三人で顔を見合わせてしまう。
ため息をついてからいのが立ち上がり、子どもたちは苦笑している。
「はーい」
玄関を開けると、見覚えのある特別上忍が、申し訳なさそうな顔で立っていた。
「すいません、シカマルいますか?」
あまりにもお約束な展開に、子どもたちは呆れ顔だ。
「今、帰ってきたばかりで寝てるんだけど…緊急?」
いのが問うと、その特別上忍は
「明日の朝まで…と聞いています」
とても申し訳なさそうに言った。
「シカマルじゃなきゃできないの?ソレ」
「暗号文の解読なんですけど、普段やってる奴等が今任務に行ってて。シカマルに頼むのが一番確実だし、難易度も結構…」
その言葉に、いのはため息を吐いた。
「わかったわ。シカマルが起きたら言っておく」
「本当に、すみません…」
申し訳なさそうに、謝罪の言葉を口にすると使いの人は、頭を下げた。
「それじゃあ」
そう言って彼が立ち去ろうとした時
「ねえ、私もこれ見ていいですか?」
アスカが、声をかけた。
「え?」
驚いて、思わず声の主を見るが、少女を見た瞬間青年は表情を緩めた。何度も使いとしてこの家を訪れたことのある彼は、当然双子とも顔馴染みだった。
「ああ、アスカちゃん」
こんにちは、と頭を下げてからアスカはもう一度口を開いた。
「私も、見ていいですか?暗号の解読だったら場合によってはお役に立てると思うんですけど」
まだ9歳の少女は、丁寧にもう一度たずねる。
「めちゃくちゃ難しくなければ、できると思います。ちょっと見せていただけませんか?」
「キョウくん」
双子の申し出を、頭の中で反芻し、少し考えた。
忍は、実力主義である。
実力のあるものなら、たとえ6歳の子供であろうと上忍になれる。
逆に、実力がなければ30歳でも下忍、ということもありえる。
そして、目の前にいる双子は、大人顔負けの暗号解読のエキスパートだ。
幼いころからシカマルを筆頭に周りの大人からいろいろと教わってきているため、その知識は特別上忍…あるいは上忍に匹敵する。…どころか、彼らのほうが場合によっては多くの知識を持っている。好奇心も向学心も旺盛な彼らは、字が読めるようになると自分たちでいろいろな文献を…それこそ、絵本から上級忍術書まで…引っ張り出しては片っ端から読んでいったという子供らしくない子供だったのだ。
そして、子ども特有の思考の柔軟さが時として思いがけない答えを導いてくれることもある。
口の堅さにおいても、信用ができる。
以上のことを考え、青年は口を開いた。
「じゃあ、お願いしてもいいかな」
「ねえ、ここはこうじゃない?」
「うん、そうかも。…あれ、でもそうなるとここがヘンだし…。こうじゃないかな」
「あ、ホントだ。そうすると、ここはこうなるわね」
顔を寄せ合い、近くにあったメモにいろいろと書き込みながらわずか9歳の子供がかなり難度の高い暗号を解いている。
はっきり言って、いのは暗号解読は苦手中の苦手だった。
サクラと同じく、知識が偏っているというのも原因のひとつだが、一度“こう”と思ったらその考えを消せないのだ。ようするに、思考に柔軟性がたりない。
(私も、もっと頭がよくって、柔軟性もあったらシカマルの手伝いができるのに…)
シカマルに似て頭もよく柔軟な思考を持ち合わせている子供たちを見て、妻として、というよりは友人として少しうらやましく思うのだった。
「ここは、こうだろうが」
二人が、あーだこーだ言い合っていたら、いきなり背後から手が伸びてきて、アスカの手から筆をとると、紙に文字をさらさらと書いていった。
「シカマル!」
寝ていたはずの夫の姿を見て、いのは驚いて名前を呼んだ。
気配を、まったく感じなかった。やはり、書類仕事が多いとはいえ、上忍は伊達ではない。
それにしても、気配を殺していたのは、無意識なのか故意なのか…。
「もうおきたの?」
「ああ。…さっきは、サンキュな」
どうやら、布団まで連れて行ったことに対しての礼らしい。
「父さん!」
アスカが、すねたような表情で、父親を呼んだ。
「あ?」
「なんで、そんなに簡単にわかっちゃうのよ!」
どうやら、自分たちが一生懸命解いていたのを一瞬で解かれてしまったことに対して憤慨しているらしい。
「なんでって…見りゃわかるだろうが」
何を言っている、とばかりにシカマルはさらりと言ってのける。
頭の出来がよすぎる彼は、大抵のものは一瞥しただけで解いてしまうのだ。それは、何も暗号だけではない。計算問題であろうとも、同じだ。文章を読み終わるころには、頭の中には答えができあがっている。
「わかんない!」
「普通はわかんないよ」
「自分を基準にしないほうがいいわよ」
シカマルの言葉に、三者三様の突込みを入れて、嘆息する。
一体、こいつの脳みそはどうなっているのだ…と。
ちなみに、上からアスカ、キョウ、いのの順だ。
「どうして、こうなるの?」
キョウが、諦めたような声でシカマルに問う。
「あー、そうだなぁ…」
シカマルもその場に座ると、新しい紙を2枚取り出し、筆をすべらせた。
「…?」
「…?」
その手元を除きこんだアスカとキョウが不思議そうに顔を見合わせる。
「よし」
書き終えたらしいシカマルが、二人に、一枚ずつ書き上げた紙を渡す。
「まず、自分たちで解いてみろ」
「でも、さっきまでこれやってたよ」
渡されたのは、暗号文の写しだった。
そこに少しだけヒントが書き加えてあった。
「ああ。だったら、なんでこうなるのか、まず、自分で考えてみろ。答えは分ってるんだから、途中経過を考えればいいんだ」
その言葉に、アスカはうなずいた。
「オレたちで、できるレベル?」
キョウは、一応確認する。
「ああ。おまえたちなら、できる程度だ」
その言葉にうなずくと、キョウも、再び暗号文とにらめっこを始めたのだった。
(ガキってのは、見てると面白えなぁ)
そんなことをつらつらと考えながら二人を見ていたら、
「はい」
お茶を差し出された。
「サンキュ」
「どういたしまして」
いのは、アスカとキョウにもお茶を置いて、自分も座った。
「寝るの、あんだけでいいの?」
シカマルが布団に入ってから、まだ1時間程度しかたっていない。
「あー…。まあ、疲れてはいるし、眠いんだけど、少し腹減ったなぁ…と」
その言葉に、いのは表情を変えた。
「シカマル?」
いのの声音が、変わった。
「正直に、答えて頂戴」
シカマルの頬を両手でがっちりと挟みこみ、自分のほうを向かせる。
「前に、食事を取ったのは、いつ?」
その言葉に、シカマルの視線が泳ぐ。
「えーっと…」
どう誤魔化そうか考えているようにしか見えない。
「シカマル」
有無を言わせぬ口調と迫力に観念して、シカマルは小さな声で答えた。
「……………………み、3日前…」
シカマルの頬を挟んでいた手が、顔の上を滑って移動する。
「この馬鹿―――――――――!!!」
シカマルの耳を思いっきり引っ張りながら、いのが、怒鳴った。
ちなみに、暗号を解いていたはずの双子は、長年の付き合いから、母親の行動を予測していたため手で耳をふさいでいた。そのため、怒鳴り声の攻撃は受けていない。
「いっつも、ちゃんと食事はとりなさいっていってるでしょ!?あんた、今までに栄養失調で何回倒れたと思ってんのよ。この時代に、あんたみたいな高給取りがどうして栄養失調で倒れなきゃいけないの!?馬鹿じゃないの?いえ、馬鹿よ!馬鹿決定!!!」
もともと、親友とは違って食べ物に対する関心がそんなにないシカマルは、忙しさに追われると、平気で食事を抜いてしまう。彼にとって優先させるべきは仕事で、仕事が終われば食事よりも睡眠を優先させる。彼の中で、食事はとことん優先順位が低いのだ。だからといって、食べることが嫌いなわけではないけれど…。
ひととおりシカマルに説教した後、いのは台所に立ち、すぐに用意できる軽食を作り出した。
「まったくもう…信じられない」
ぶつぶつと、文句を言いながら、手際よく調理していく。
「いつも…無茶ばっかりして。こっちの気持ちも考えなさいよね」
ぽつりと、いのが呟いた。
いつだって、自分に無頓着なこの幼馴染は自分やもう一人の幼馴染に心配をかけっぱなしなのだ。
しかも、自分が無茶をしているという自覚がないから性質が悪い。
大切な、大切な幼馴染。
大好きな、人。
いのの気持ちを知っているため、シカマルもそこまで無茶をすることは滅多にないのだが…。
「まあ、シカマルらしいっちゃらしいけどねー」
面倒くさがりの癖に、責任感が強くて困っている人をほうっておけないお人好し。
そんなシカマルだから、惹かれたのだけれど…。
「まあ、考えても仕方ないわね。言って聞くようなヤツじゃないし!」
思考の渦から引き上げると、出来上がった炒飯を持って、居間へと向かった。いつもなら台所で食べるのだが、たまには炬燵で食べてもいいだろう。
「ほら、シカマル。ご飯できたわよ」
楽しそうに二人の子供を眺めている夫に、声をかける。
「んー、サンキュ」
のんびりと、気のない返事を返しながらシカマルが受け取る。
「いただきます」
きちんと手を合わせる。
「はい、どうぞ」
レンゲを手に取り、食べ始める。
「ねえ、キョウ。ここだけ、どうしてもわかんないんだけど…」
「オレも、そこわかんない。どうして、これがこうなるの?」
「他のところは、できた?」
「うん。アスカもできたんだよね。他のところ、一応確認しとく?」
「そうね。違ってたら、そっちを先に考えよ」
「うん。そうだね」
仲のいい二人の会話を聞きながら、シカマルは楽しそうに飯をほおばる。
「で、ここがこうなるよね?」
「うん。だから、これがこうなって…」
さらさらと、紙に筆を走らせる音が耳に心地よく響く。
声変わり前の、少し高めの少年の声と、女の子にしては低い、アルトの声が歌のように、耳に届く。
「モミジは?」
ごちそうさま、と言ってからシカマルが、いのにたずねる。
「ああ、モミジは、パパとお義父さんに拉致られていったわよ」
さらりと、いのが答える。
「親父…またかよ」
げんなりとして、シカマルがため息と共に言った。
「ええ、またよ」
「モミジのやつ、大人しくついて行ったのか?」
「最初はいやがってたけど、名湯25選の入浴剤を条件について行ったわ」
「あいつも、大概好きだよなぁ…」
彼は、温泉が大好きなのだ。
「いいじゃない。私たちだって、そのおかげでいろんな入浴剤入りのお風呂を楽しめるんだから」
「まあ、な」
悪くない趣味だ、と思う。ただ、時々ものすごく変な入浴剤をどこからか手に入れては試すのだけはどうにかしてほしい。一番記憶に新しいのは、ラベンダー風呂だ。無論、普通ならば問題はない。だが、モミジが持ってきたソレは、黒に近いような紫色のお湯と、気絶しそうなほどにきつい香りのものだったのだ。流石にこれはきついということで、もったいなかったけれどお湯を半分捨てて、新たに汲みなおして薄めたのだ。それで事なきを得たのだから、まだましなほうであった。今までの中で最悪だったのは…いや、思い出したくもないのでやめておこう。
暖かい炬燵に入って。
渋いお茶をすすりながら、顔をつき合わせてあーだこーだと言い合う子どもたちを見て。
隣では、今は妻になった幼馴染が子どもたちを見て微笑んでいる。
今ここにはいない末っ子は父を振り回して遊んでいるだろう。
この場所は、暖かい。
炬燵のせいばかりでないその暖かさにそっと笑う。
茶を飲み終わったら、もう一度寝よう。
目が覚めるころには、末っ子も帰ってきて、久しぶりに家族でそろって飯を食えるだろう。
暖かい場所。
幸福は、ここにある。
いつだって、オレを迎え入れてくれる
BACK