「生きるのが怖いときって、ない?」
そう言って物憂げな表情で猪口を口元に運ぶ先生は、そう言った。その横顔はなんだかやたらきれいで、オレは少しだけ悲しい気持ちになった。
「…ないよ」
だから、あんまりにも先生がきれいだったから、オレは嘘を吐いた。そうしないと先生が壊れてしまいそうに見えたから。
「…そっか」
それだけ言って先生はまた猪口を口元に運んだ。それから、舐めるように少しだけ口に含む。そんな仕草さえも美しくて、オレは泣きそうになったのを隠すために殊更明るく笑って先生の猪口に酒を注ぎ足した。
「いきなり、何言ってんだってばよ。先生」
「うん…ちょっとね」
「…」
先生が、笑った。その笑顔がやたら儚く見えて、今度は叫びたくなった。この人を連れて行かないでくれ!なんでか知らないけど、そう言って叫びたくなった。
「いつか、オレが死んだら骨は粉にしてその辺に撒いてよ」
本気とも冗談ともつかぬセリフをやっぱりどうしようもなく儚い笑顔とともに言われて、オレはこらえられなかった。
「ナルト…?」
驚いたような雰囲気を持つ落ち着いた声がオレの名前を呼んだ。その声はとても透き通っていて、涙がまたこぼれた。
「泣いてるのか…」
そうだよ、と心の中でうなずいた。オレは今、泣いてる。なんでかわかる?わからないだろう。だってオレだってわからないんだ。
「…」
先生の手がオレの頭をぽんぽん、と叩いてから抱きしめるようになでた。先生の手は、すごくきれいだ。それを言ったら、たくさん人を殺してきた手がきれいなはずない、って言われた。何人殺してようときれいなものはきれいだと思うしオレがきれいだと思うものをそんな風に言って欲しくもなかった。でも怒るのは違う気がしてオレは何も言えなかった。その手が、今ためらいなくオレに触れている。これは喜ぶべきことなのだろうか。
「先生は…」
涙は流れても、それだけだったから声はスムーズに出た。むしろいつもよりも落ち着いてるくらいで内心すこしだけ苦笑した。
「死にたいの?」
予想に反して先生はなんの反応も示さなかった。びくりとするかと思ってた。でも、さっきまでと同じようにオレの髪に触れて同じ速度で頭をなでていく。手の動きはとても優しくて甘えてみたいと思うほどだった。多分オレが甘えたら甘えただけこの人はオレを甘やかしてくれる。だけどそれじゃあ何の意味もないんだ。違うんだよ。オレがあなたを甘やかしてあげたいんだ。甘えて欲しいんだよ。
「んー…違うよ」
一瞬考えるそぶりがあった。でも、きっぱりと柔らかに先生は否定した。それが本音なのか嘘なのか見分けがつかなくてすこし困った。この姿勢だと先生の顔がよく見えない。だから先生の腕を掴んだ。先生の指が頭から離れる。名残惜しいけど、それより先生の顔が見たい。目を合わせてお話しなくちゃ。この人は手強いから。
「違うの?」
先生はオレの視線をまっすぐに受け止めてうなずいた。ああ、やっぱりよめないな。この人の表情だけは。
「違うよ」
きっぱりとした否定。それが逆に怪しいと思うのは勘繰り過ぎだろうか。
「どうして?」
しまった。この言い方が先生に死を望んで欲しいようにも聞こえるぞ。
「…死にたいとか、生きてるのが辛いとか、そういうふうに思う時期がすぎちゃっただけ。今は、オレはちゃんと生きてなきゃいけないんだって知ってるよ。それがオレが殺してしまった人たちの命を背負うっていうことだし、オレを生かしてくれた人たちを信じるってことだってわかったから。だから、死にたいなんてもう思わないよ。彼らのことがとても好きだから」
言葉はあまりにも透明で、その視線はどこかすぎた過去を見つめているように無邪気で、微笑みは残酷なほどに美しかった。
「…でも、さっき生きてるのが怖いって言ってたじゃん」
ことり、と先生は首をかしげた。んー?って考えている。少女みたいな仕草だ。ほかの男がやったら絶対に気持ち悪いその動作が抜群に似合っているから怖い。そしてそんな姿をかわいいと思うオレはかなりやばい。
「ああ、あれか。うん。言ったね」
酔っ払っているのかもしれない。先生は酒に弱くないけど時々すぐに酔う。精神的に不安定になっているとき、先生はすぐに酔う。いつまでたっても酔えない時もあるけれど、それは本当に追い詰められているとき。今日は酔う日らしい。
「あれはね、死にたいってことじゃないんだよ。ただ、オレの主観」
唇を湿らせるように猪口を口元に持っていく。そんな動作がどうしようもなく絵になってしまう人だ。オレの先生は。見蕩れてしまいそうになる。とりあえずオレも猪口を手に取った。中に入ってた酒を飲み干す。先生はすぐに酒を注いでくれた。完璧なタイミングで。
「生きてるから、生きてるのが怖くなるんだよ。死んでしまったらそれすらも思えないんだよね。生きてるのが怖いとき、生きてるのを一番実感できるよ。怖いって思えるのは生きたいからなんだよ。死にたかったら、生きてるのが怖いなんて思えない」
先生はそう言ったけど、オレはそう思えなかった。オレはカカシ先生が好きだ。好きで好きでどうしようもないくらいに好きだ。だから、先生とセックスしてる瞬間が一番生きてる感じがする。うん。人間の本能に従った行為だから、一番生きてる感じがするんだ。きっと。ただその行為に愛がないことだけが悲しい。オレがどれだけ愛してもこの人はオレをそういう意味では愛してくれないから。愛の種類が、根本的に違うんだ。すれ違うだけの愛は憎しみよりも性質が悪い気がする。一生交わらないんだから、辛すぎる。
「ね、ナルト」
先生は犬が大好きだし心から自分の忍犬たちを心から愛しているけど、この人自身は猫だと思う。優雅で気まぐれな美しい毛並みの猫。飼い主と死に別れちゃった孤独な野良猫。もう、誰にも飼われない。ただ気まぐれに身を寄せることはあってもかつての飼い主に永遠の忠誠を誓っちゃってる猫らしくないくせに非常に猫らしい猫。
「多分ナルトはオレが何を言いたいのかわかんないと思う。でも、こういうのはわかんないほうがいいんだよ。下手にわかると混乱しちゃうから。そんなことよりも大切なことをおまえは知ってるから、大丈夫だよ」
そう言って笑った顔は美しくて儚くて、何より愛しくて。オレはまた泣きたくなった。でも、泣かなかった。泣かない代わりに身長の割りに華奢な身体を抱きしめた。昔あんなに大きく見えた先生の身体は今はオレよりも小さくて細い。そんなことに初めて気づいた日、オレはこっそり泣いた。涙が出たから。この人に関する限り、オレは自分の涙腺をコントロールできないらしい。
「ねえ、先生。セックスしよ」
なんだか、今、とてもこの人を抱きたいと思った。そうしなきゃこの人は遠くへ行っちゃいそうだったから。笑顔で手を振ってばいばい、なんて言い出しそうだから。
「ここで?それともベッドで?」
先生はすべてを受け入れる心の広いオトナのように笑った。胸が痛くなる笑いかただった。
「今すぐ、先生を抱きたい」
先生はこんなにもオトナなのに、オレは未だにコドモだった。わがままばかりで自分勝手なコドモ。コドモのわがままをきくのはオトナの特権なんだから、って先生はいつだったか言ってた。なんで権利なの。コドモがコドモのわがままをきいたらそれはわがままとは言わない気がするから。だから、オトナの特権。そのときの笑顔はかわいくてオレはどきどきした。
「いいよ」
噛み付くようにキスをした。先生は笑ってる。コドモのわがままをしょうがないな、ってきいてやるオトナの顔をしていた。
「先生。好きだってばよ」
「何それ」
「言いたくなっただけ」
「ふうん」
この恋は永遠に片思い。
この人の心は永遠にオレの望む色には染まらない。でも、身体はもらった。もう、オレの色。永遠に放さない。この驚くほどに脆い心を隠してる華奢な身体はオレのもの。後悔したってもう遅い。あなたが何をどう言おうとも、あなたがどれだけ何かに焦がれようとも、そんなこと知らない。その美しい顔も、儚い笑顔も、きれいな指も、全部全部オレだけのもの。
所有のしるしのように、首筋に紅い花を咲かせた。
服を着たら見えないなんてことわかりきっているけど。でも、服の下にオレの所有の印があるんだ。いつか消えなくなればいい。この紅い花が。そうしたら、この人の心もすこしはオレに向くのかな。やっぱりムリなんだろうな。
ねえ、恋人になりたいなんて、あなたの愛する人になりたいだなんて、そんな贅沢言わないからさ、もうちょっとオレのこと大事にしてよ。セフレなんて寂しすぎるじゃん。どうせ身体だけの関係なら、セフレよりも愛人になりたい。愛する人って書くから、そっちのほうがいい。セックスフレンドなんて、微妙。だってオレたちフレンドじゃないし。
あなたの瞳が映す世界で、オレはちゃんと色を持っていますか?
あなたはオレが恋した美しくて儚くてきれいな哀しい人。
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