こひねがはくはのぞむもの 壱
「もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれ出る 魂かとぞ見る」
水無月の夜、二人で蛍を見ながらぽつりと零すように落とされた和歌の意味がわからず、幸村は首をかしげた。雅に長けた政宗とは違い、幸村はそういったことは苦手であった。幸村は戦を司る武人であり、優雅に暮らす公家ではない。信玄の役に立つために必要なのは武人としての力量であり、間違っても和歌や漢詩の教養ではない。
「…なんて、な」
だが、と幸村は思う。
武人としての真田幸村には和歌や漢詩の教養は不要なものであるが、幸村の肩に止まった蛍に指を伸ばしながらそっと囁かれた言葉の意味を知るために、一個人としての真田幸村にそれは必要なものだ。
「今、なんと?」
「No…なんでもない。それより、見ろよ。すごいだろ?」
あたり一面に飛び交う、蛍の群れ。
短い生を燃やし光るそれは目を奪い心を締め付ける。
「光の洪水…蛍の海だ」
そっとその群れに対し指を伸ばす政宗の肌が蛍の光にことさら白く見え、幸村は思わず深いため息をついた。なぜだろう。いくさばにおいては誰よりも強く光を放ち強烈な存在感を主張するというのに、時折この人は消えてしまいそうに儚く見える。それが万人の受ける印象なのか幸村のみの持つものであるのかわからないけれど、そんな時幸村はわけもなく叫びだしたくなるのだ。どこにも行かないでくれ、と。
「こんな風に命を燃やすのも悪くない。…きっと、長い歴史から見れば俺たちの一生など蛍のように短いだろうよ。だが、せめて。この蛍のように、美しく光を放って在りたいもんだ」
そう言ってどこか切なげに笑う政宗がいとおしかった。ただ大切で、しかし幸村はどうやってそれを政宗に伝えればいいのかわからなかった。
好きです。慕っております。愛しているのです。幾度も告げた愛のささやき。けれど、そんなものでは到底足りなくて。政宗はきれいに笑ってくれるけれど、幸村はまだ物足りない。違う、自分の心を表すのにそんな言葉ではまだ足りない。もどかしさに歯痒くなる。
「政宗殿」
「Ah―?」
「蛍の光は確かに美しゅうござるが、某には、それよりも蛍の光に照らされた御身が何より美しゅう見えるでござる」
「…馬鹿」
恥ずかしかったのか、幸村に向けていた視線をふいとそらすしぐさがかわいらしい。嗚呼、なんといとおしいのだろう。
「…I think you are more beautiful than me」
小さくつぶやかれた言葉の意味がわからないのが、少しだけ寂しくて哀しかった。
きっとこの人は幸村にわかるようには本当の気持ちを教えてはくれないだろう。ふとした瞬間に戯れに指を伸ばしながら政宗は時折、南蛮語で何かを囁く。幸村に南蛮の言葉がわかろうはずもなく、そして政宗も教えるつもりもないのだろう、幸村は未だにささやかれるその言葉の意味をしらない。
南蛮の言葉を知る手立ても、領土に海を持たず南蛮との繋がりのない幸村にはないけれど、それがこの国の言葉なら。和歌や漢詩といった形を借りて届けられる言葉であるのなら、幸村にも知ることができるかもしれない。
知りたい、と思った。
素直に言葉を告げてはくれない不器用な人のために、そして、その思いを受け止めるために、幸村は知りたいと思った。
「政宗殿」
「何だ?真田幸村」
「次に来るときは、某、政宗殿と星を見たく存じまする」
手をとり、指を絡める。政宗は特に抵抗もせず幸村の好きにさせている。
「Star?そんなの上田でも見れるだろうが」
「政宗殿と見たいのでござる」
「…」
政宗は応とも否とも言わなかった。
だが、拒絶をしないということは了解していることなのだと、幸村は知っていた。
だから、幸村に手を握られたまま歩き出した幸村の耳が赤いのを見てそっと笑った。
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