たとえば、最期に笑った顔がひどく優しかったこと。
それだけで、もう十分だと思った。
手の中で、すでに馴染んでしまった銀色のジッポをいじる。
タバコと一緒にこれも返すつもりだったけど、紅先生に「持っていてほしい」と言われてしまった。断る理由はないし、実際オレ自身手放したくないと思っていたから、そのまま形見のひとつとして手元においている。
オレはおそらく二度とタバコは吸わない。でもこのジッポは手放せないだろう。多分それはオレが永遠にアスマのことを忘れないのと同じくらい確かで不確かなことだ。
タバコを吸うのはあの任務が終わるまで、と決めていた。
オレの中でタバコはあの男を象徴するもののひとつで、吸うたびに思わずにはいられなかったから。それはひどく疲れることだろう。忘れたいわけではないし忘れられるはずもない。でも、オレは生きていかなきゃいけないから四六時中あの男を思うわけには行かない。だから、タバコはもう吸わない。心の中の一番上等なところにしまっておくのだ。
シュボッ
意味もなくふたを開けてその炎を見つめる。
火遁で作り出されるものとはまったく違うそれ。最後に、オレはこのジッポでアイツの最後のタバコに火をつけた。禁煙してるっていうのにタバコとジッポを持ち歩くなんて、何考えてるんだバカヤロウ。
本当は、敵討ちとか復讐とかそういうものはキライだ。
でも、我慢できなかった。
アスマを殺したあいつがこれからものうのうと生きていくのかと思うと我慢できなかった。
あいつ等が生きていくことを許せなかった。
覚えたのは純粋な殺意。
あんなにも誰かを殺したいと思うのはきっと後にも先にももうない。
あんなしんどい気分は、もう二度とごめんだ。
「…疲れた」
ジッポを手の中に握りこんで、ごろんと仰向けに転がる。
空は快晴。白い雲が目にまぶしいほどにキレイに映る。
つい先日までずっと胸の中にあった重くて暗くてどろどろとした感情。
今胸の中にあるのはどこかすっきりした前向きさとどうしようもない虚無感。
こうなるのは、わかっていたはずだった。
あの男を失った瞬間から、あの二人に明確な殺意を抱いた瞬間から。
きっと、わかっていた。
それでもとめられなかったのだ。
“忍”としてあいつ等を殺したいと思ったのではなかった。“人”として、あいつ等を殺したいと思ってしまったのだ。せめてもの救いは殺すことに喜びを覚えなかったということくらいだ。
躊躇いなく誰かを殺すことのできる自分が確かにいた。
忍として、任務としてなら今までにも殺したことがある。
でも、あれは忍としてでも任務としてでもなかった。
後悔はしていないけれど、その事実は重く圧し掛かる。
「…」
忘れてはいけないと思う。
あの時感じた殺意を。
アイツを殺した瞬間に何も感じなかった自分を。
忘れてしまったら、オレは忍ではなくただの殺人者に成り下がる。
ジッポを握る手に力を込める。
ずっと握っていたせいですっかり体温に馴染んでしまったそれ。
その確かな存在感を持つ無機物にほっと息をつく。
その拍子に、アスマの最後の言葉と穏やかな微笑を思い出す。
大切な存在だった。
オレにとってアスマがすべてではなかったように、アスマにとってもオレがすべてではなかった。
アスマには紅先生がいたし、オレもそれはわかっていた。
それでもアスマは困ったような顔をして、そのくせ一番大事なのは多分おまえだ、と言っていた。身勝手な男だとは思ったけれどそれはオレにしても同じことで、結局あっそ、と答えることしかできなかった。紅先生に悪いと思わないでもなかったけれど、それ以上に嬉しいと思ってしまったのだから。でも、だからと言ってオレは紅先生のことが嫌いじゃなかったしアスマと別れてほしいと思ってたわけでもなかった。不思議なことに。
『あなたはアスマと少し似ているわね』
アスマの墓の前、別れ際にぽつりと呟いた紅先生。あの時彼女が何を考えていたのかはわからないし、この言葉にどんな意味があるのかもわからない。紅先生もリアクションがほしいわけではなかっただろうから、結局オレは肩を軽くすくめるだけでその言葉を流して墓の前にしゃがみこんだ彼女に背を向けた。オレもアスマも自覚はなかったが、どこか似ている部分があったらしい。その言葉を聞くのは初めてではなかった。確かに、今考えてみるとそうだったのかもしれない。オレたちは似ているから惹かれあい、またそれと同時にまったく違うから離れられなかったのかもしれない。
『きっと、シカマルとアスマ先生の魂は同じ色をしているんだね』
いつだったか、チョウジがそう言っていた気がする。は?と聞き返すと、チョウジはひどく大人びた顔で笑ってそれ以上は何も言わなかった。魂、というものを否定する気はない。ひどく概念的で不確かなものだけど、それは確かにどこかに存在するのだろう。そして、もしもチョウジが言うようにオレとアスマの魂が同じ色をしているのだとしたら。それは、とても幸せなことなのかもしれない。この世界中に、いったいどれだけいるのだろう。自分と同じ色を持つ魂を見つけられる人が。
(きっと、アイツ等もそうなんだろうな…)
ナルトと、サスケのことを思う。
おそらくあの二人も同じ色の魂を持っていて、それが故に惹かれあってしまうのだろう。どれだけ反発しあおうが、敵対しあおうが、殺しあおうが、離れられないのだ。互いに対する執着心が普通ではない。それはいっそ怖いほどで、関わるなと本能がキケンを訴えるというのにほうっておけない。目が離せないのだ。凶器と紙一重ともいえるほどの強い独占欲、執着心を抱き合い、その双眸には相手だけを映し、それに向かいまっすぐに進んでいく姿はどこか危なっかしい。だから、というわけではないけれど、もしナルトが助けを求めることがあればいくらでも手を貸してやろうと思う。ダチとして、それくらいはしてやりたい。でも、それ以上に深くあの二人に関わろうとは思わない。ここがボーダーラインだ。
オレたちとは正反対だ、と思う。オレもアスマも確かに互いに対する執着心を持っていたが、独占欲はたいしてなかったように思うから。二人とも束縛を嫌う性質だからか、互いを縛る言葉も行動もほとんどなかった。寂しくないといえば嘘になっただろうが、それでもムリだとわかっていながら拘束の言葉を吐くのも吐かれるのも虚しいだけだから、それはそれで別によかった。むしろ、ナルトとサスケのような強すぎる感情で相手を縛るのは、怖い。あんなに強すぎる感情を誰かに抱くのは、怖い。だから、オレタチはあれでいいんだ。
(っつーか、どんなに執着したところで自分のものにできないんだったら意味がない、っつーの。…余計に虚しくなるだけだろうが)
あの男が好きだった。今でも、好きだ。きっと、誰よりも。ほかの誰とも違う、特別だった。これから先、オレはまた誰かを好きになるかもしれない。でも、こんな風に誰かのすべてを認めて受け入れあえるような恋は、もう二度とできないと思う。
この思いは一方通行なんかじゃなくて、目には見えないけれど確かにそこには通じ合うものがあった。
でも、それだけじゃどうしようもないことというのも、確かにあるのだ。
この盲目的な思いは恋と呼ぶには躊躇いが残るけれど、それでもたった一度のセックスと数えられないキスと、腕の温かさとタバコの匂いだけは忘れられないから、それ以上は必要ないと思う。
最後に笑った顔は満足そうにも見えたひどく優しい顔だったから、それだけでもう十分だと思う。
『今日から第十班の担当になる猿飛アスマだ。厳しくするから覚悟しろよ!』
不意に思い出したオレたち十班の始まりの言葉。
嘘付け。
全然厳しくなんかしなかったくせに。
むしろ、放任主義だったよな、アンタ。
なあ、アスマ。
「…ッ」
泣きたくなった。
多分、これからもずっとずっと忘れられない大切な人
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