その日、奈良シカマルを探していたのは単に借りていた本を返すためだった。
だから、見るつもりはなかったのだ。
あいつの涙など。
(泣いて、いる?)
シカマルの涙を見るのは初めてではなかった。
それなのにひどく動揺する自分がいて、そのことに冷静ではない頭で驚く。
見てはいけないものを見てしまったような気持ちになりながら、それでも目をそらせない。
ここから立ち去って一人にしてやったほうがいいのだろうと思うのに、足が動かない。
一つの墓石の前で声も泣く涙を流す年下の青年が、ひどく美しく見えた。
「あ…」
気配を感じていたのだろう、シカマルが彼らしい緩慢な動作で振り向く。
目が合って、はっとする。
透明な涙の膜が彼の黒い瞳を覆ってる姿を見て息をのむ。
隠すつもりなどないのだろう、流れる涙を拭う様子もなくこちらを真っ直ぐに見据える。
「…」
何も言わない。
だが、その瞳は拒絶をしていなかった。というよりも、何も見ていなかった、といったほうが正しいだろう。あたしの姿を視界に納めると、同じように緩慢な動作で視線を元に戻した。
(どうすればいいんだ)
悩んで、結局あたしはシカマルに歩み寄る。拒絶されたのなら速やかに立ち去ろうと思っていたのに隣に立ってもシカマルは何も言わなかった。
足元に視線を落として墓石に刻まれた名前を見て瞠目する。
それと同時に、やはり、と思った。
猿飛アスマ
もう何年も前に死んだ、シカマルの師だった男の名前。
直接話をしたことはほとんどなかったが、有名な男だし、シカマルが話す中に何度も名前が出てきた記憶がある。
しかし、一番印象に残っているのは訪れた木ノ葉の街を歩いているときに見た、二人が親しそうに並んで歩いている姿だった。
あんなに安心した素の表情のシカマルを見たのは初めてだった。
隣に立つ猿飛上忍も、慈しむようにいとおしそうにシカマルを見ていて、それだけで二人は特別な関係なのだとわかった。
色恋という意味での特別ではなく、ただ純粋に互いを“特別”に思っている、という意味だ。
そこに恋情が絡んでいたのか否かはあたしには知りようがないし、それはあたしにしてみればどうでもいいことだけれど、二人が並んでいる姿を見るのは悪くなかった。
シカマルが友人や、幼馴染といるときでさえ気にしたことはないのにその二人が一緒にいるときは声をかけることはできなかった。実際に声をかけたとしても、シカマルはいつもどおりに接しただろう。だが、二人の間に割り込みたくなかった。そこにある空気を壊したくなかった。無論、あたしが声をかけたくらいで壊れるようなものではないことはわかっている。だが、それがどんなに短い時間であろうとも、その空気を途切れさせるのがいやだった。
そう感じさせる何かが、そこにはあった。
しかし、それももう昔の話だ。
猿飛アスマが死んだと聞いてから、もう何年経っているだろう。
10年近い年月が経ち、それでもシカマルは一人の男を思って涙を流すのか。
(もう、何年も経つのにめそめそ涙を流すとは、女々しいやつだ)
昔のあたしだったら、きっとそう言っただろう。
だが、今のあたしは何も言えなかった。
それは、シカマルが流している涙が本当に純粋で綺麗なものだからだろう。
ただただ大切な人を思って流される涙の美しさ。
どれだけ時が経っても色あせない想い、というものがあるのだと初めて知った。
そして、その想いがどれほど純粋なものなのかも。
(だが、哀しすぎないか?)
どれほど想っても何も返ってこない。
返してもらうために人を想うわけではないのだとわかっていても独り相撲はひどく疲れる。
それでも、想わずにはいられないほどの強い想い。
(あたしは、知らない)
知っていることが幸福なのか知らないほうが不幸なのか。
(きっと、知っているほうが不幸だ。だって、それ以上に出会うことができない)
それからどれほどの時間そこにたたずんでいたのか。
「メシ、食いに行くか」
気がつけば涙を止めたシカマルが微かに笑んでいた。
10年経っても一人を想って、そうして悲しみさえ内包して笑うおまえは強いのか弱いのか
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