チリン チリ …リーン
風が吹くたびに軽やかな音を立てる玻璃の風鈴。
チリチリ チリーン…
心地よい余韻を響かせてゆれるそれは、いつだって感傷的な気分にさせる。
(20年…もっとか?)
グラスに入った氷がパチ、と小さく鳴った。
* * *
「あ、カカシ!輪投げだよ。輪投げ!」
「…そうですね」
子供のようにはしゃいでいたあの人の隣を呆れながら歩いていた。
(まったく、何歳児なんだこの人は…)
いつまでたっても子供らしさ、純粋さを忘れない人だった。
「ん!カカシはクールだね」
「…先生が子供っぽすぎるだけです」
「あははー」
でも、誰よりも強くて苦しみも悲しみも知っている人だった。
「ね、カカシ。ちょっとやってきてもいい?」
「どーぞ…」
ヨーヨー釣り、たこ焼き、射撃、カキ氷…
(祭りを力いっぱい楽しんでるな…)
お祭りに行くよ、と言われて(強制的に)つれてこられた。正直めんどくさいと思ったけど、楽しそうに笑う先生を見ているのは面白かった。大人なのに、忍なのに、表情がころころとよくかわって見ていて飽きない。祭りも悪くないかもしれない。
ひゅるるるるる…
どおぉおん
わあっ、と歓声が上がった。
花火が始まったらしい。
(そーいえば…)
「花火」
穴場を知っているから一緒に見ようと言っていた。
だが、そう言ってオレを連れ出した人は輪投げに夢中だ。
(まあ、いいケドね…)
ヒュルル…
二発目が上がってる。
せめて見やすいように身体の向きを変えた。
(え…)
ドォン
わあっ。
また歓声があがる。
「ちょ、うわっ」
少しでも花火が見やすいところへ行こうとする人の波にさらわれてしまった。
「せんせ…っ」
悔しいけれど、オレの身長では人波の上からあの人を探すことも、この波を逆走することもできず、流されていくことしかできなかった。
(先生とはぐれる…!)
この人ごみの中で離れてしまったら、もう会えない気がする。たくさんの人の中、一人でいるのはいやだと思った。
「先生…っ!」
だから、無意識のうちに呼んでいた。
「カカシっ!」
あせった声が聞こえた。大好きな声。この声に名前を呼ばれるのが好きだ。安心できる、とのんきにも考えた。
「せんせい…」
「ごめん!カカシ」
声が聞こえた、と思ったら人の波に乗ってすべるように先生はオレの目の前に現れた。まるで手品のように。
「ごめんね、カカシ。離れちゃうところだったね」
ほっとした笑顔とともにそう言われた後、いきなり抱き上げられた。
「!?」
「ほら、これでもうだいじょーぶ!」
慌ててしがみつくと、満面の笑みが見下ろしたところにあった。
「先生!オレ、一人で歩けます!!おろしてください!!!」
「ん!気にするな」
「気にしますよ!」
抗議しても、いいから〜と押し切られてしまった。
正直に言えば、先生に抱き上げられるのは嬉しかった。でも、ちょっとだけ胸が痛くなった。死んだ父親のことを思い出すから。父さんとも一度だけこの祭りに来たことがある。オレがもっともっと小さいころに。父さんはいつも忙しくて家にいることのほうが少なくて、でもその年はたまたまお祭りの日にお休みが取れたから連れてきてくれた。父さんはずっとオレを肩の上に乗せてくれてた。懐かしい思い出だ。
「ん!この辺でいいかな」
気がつくと、まわりには人がいなかった。でも今までいたところからはそう離れていないらしく、人の喧騒はまだ聞こえる。
「ここは…?」
不思議に思ってたずねると、やっぱり満面の笑みがそこにあった。
「ん!いいでしょ、ここ。穴場でね、人がめったに来ないけど花火はきれいに見える場所なんだよ」
「へぇ…」
「来たことあるでしょ?」
「え…」
「サクモさんと」
言われて、あたりをゆっくりと見回してみた。
どおぉん
また、花火が上がった。
(あ…この感じ)
「そうだ…」
「…」
「そうだ。ここだ…。ここで、父さんと…花火、を、…見たんだ」
『ここが一番きれいに見える場所だ。特等席だ。カカシ、覚えておけよ』
忘れていた父の声がよみがえる。静かな笑顔も。こみ上げてくるものがあった。久しぶりに父をこんなにも近くに感じた。先生は穏やかに微笑んでいて、オレは先生にしがみついて少しだけ泣いた。
少しだけぬれた頬を拭い終わると、先生が小さな箱をオレの前に差し出した。
「…?」
「見てごらん」
箱を受け取って、あけてみた。
「あ、キレイ」
「そうでしょ」
玻璃の風鈴が箱の中には納まっていた。
先生の指がひょいと伸びて風鈴を摘み上げた。ゆるく振ると、ちりちりとやさしい透き通った音がした。
「うわぁ…」
なんとなく嬉しくて歓声が漏れた。
「気に入った?」
その言葉に誘われるようにこくりとうなずいていた。
「じゃあ、あげるね」
「え?」
「カカシ、こういうのスキでしょ。そう思ったから…さっきの輪投げの景品なんだよ」
だからしたかったんだ、と微笑んだ顔はただただ優しくて、照れたオレは真っ直ぐ見ることができなかった。
「ありがとう…ございます」
少しうつむいて、オレの手に収まった風鈴を見ながらお礼を言った。
「どーいたしまして」
満足した笑顔がそこにあった。
* * *
その年から、この季節この場所にはあの玻璃の風鈴がつるされる。
「…年代物、だよなぁ」
夏祭りの夜店、輪投げの景品。ちゃちな風鈴。あの人がくれた夏の思い出。
昨日の夜、この場所でアスマと酒を飲んだ。
彼は風鈴を見て笑った。それから一言。
『物持ちがいいな』
とだけ言った。
『まあね』
そう言って微笑を浮かべることでオレはそれにこたえた。会話はそこで終わった。
「クク…」
なぜか笑えてきた。手が震えて、グラスの中の氷がカラン、と音を立てた。それにあわせて中の液体もゆれる。グラスについていた水滴が床におちた。
グラスの中にはあの人が好きだったオレンジジュース。あの人に敬意を表して甘いそれをこの季節、この場所で、あの風鈴の音を聞きながら飲む。オレだけの夏の風物詩。小さな習慣。
「まあ、これも悪くないよな」
チリーン…
玻璃の風鈴がかなでる音はひどく儚げにそこに響いた。
いつまでたっても忘れられない。忘れたくない。大切な思い出。
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