ヒマな時はぼんやりと。その部屋で無為に時を過ごす。開け放した窓から入る夏の気配と少し湿った風。
チリチリーン
涼やかな音を耳にしながらふと瞳を閉じる。
思い出すのは夏祭りのざわめき。
幼い笑い声。
温かな笑顔。
繋いだ手のぬくもりも、抱きしめられた腕の熱さも忘れてしまったけれど。
あの声は今でも耳の奥で響いている。
心の中で、響いている。
オレはゆっくりと瞳を閉じる。
ピンポーン
「?」
来客の予定など、ない。誰だろう、と首をかしげながら立ち上がるが、ドアを開ける前に訪問人の正体はわかった。
「カカシせんせー!!!」
ナルトだ。
ため息をつきながらドアを開けると、昼間別れた教え子たちがいた。
「どうしたの、おまえたち」
「カカシせんせー、お祭り行くってばよ!」
「はぁ!?」
「ほら、早く行かないと花火が始まっちゃう!」
「ちょっ」
「…」
断る理由のないオレは結局断りきれずに強引に連れ出される羽目になってしまった。
いつだってオレは、彼等には勝てない。
「…戸締りしてくるから、ちょっと待ってなさいね」
「「はーい」」
「…」
おそらくサスケも無理やりひっぱってこられたのだろう。そっぽを向きながらもなんとも満面の笑みを浮かべるナルトとサクラを横目で見てため息をついている。同情をこめて視線を向けると、ばっちり目が合った。サスケはなんともいえない顔をして、やっぱり何も言わなかった。
まったく、我ながらなんて甘い――。
ため息にかぶさるようにして風鈴がチリンと小さく鳴る。
「まぁ…たまには、いいか」
諦めて小さく微笑みながら窓を閉めた。
「先生、あれ、綿菓子食べたい!」
「あ、金魚すくいやりたいってばよ!」
「んー、やってこれば?」
「先生、おごって!」
「ヤだ」
「「けちー!!」」
「子どもは甘やかさない主義なの。大体おまえたちねえ、一応、Dランクとはいえ任務やってるんだから、給料はもらってるでしょ」
「人からおごってもらうのがいいの!」
「そうそう、サクラちゃんの言うとおりだってばよ!!」
「…わかったよ。後で、三人に何かひとつだけおごってあげる。ただしみんな同じやつね」
「やったぁ!」
「さっすがカカシ先生!話がわかるってばよ!!」
ナルトとサクラは大はしゃぎだ。特にナルトは、さっきからずっと笑いっぱなし。
(まあ、初めて…だろうし)
不憫な少年を思えば胸が痛むが、逆に、今オレの隣を歩いている少年は人の多さに心底うんざりしている顔だ。
「サスケ、顔がひきつってるよ」
「うるさい」
「人が多いところキライなくせに、どうして来たの?」
「………断れると思うか?あの勢いで来るあいつらを」
「あー…」
祭りの夜、ということも相俟って二人のテンションは非常に高い。
(まあ、ね。サスケもなんだかんだ言ってあの二人に甘いからな)
暑い、とか人が多い、とかうっとおしい、とかいろいろ文句を言うくせに帰ろうとはしない。
(なんか、懐かしいなぁ)
昔、オレが子どもだったころにもこんなことがあった。
あのころは、まだみんなそばにいた。
オビトも、リンも、先生も、笑っていた。
父さんは、もういなかったけれど。
それでもあのころが、一番幸せだったのかもしれない。
* * *
カキ氷も、たこ焼きも、綿菓子も、食べた。
金魚すくいはオビトとリンがやるのを眺めた。オレはやらなかった。だって、飼ったところで常に家にいるわけではないから長期の任務でも入れば一発で死んでしまう。家族と共に暮らしている彼等は自分がいない間にも世話をしてくれる人がいるだろうが、自分にはいない。任務から帰ってきたら腹を見せて浮かぶ金魚が待っている、なんてゾッとしない光景だ。
別に卑屈になっているわけではない。純然たる事実だ。
「本当に、いいの?」
先生が気遣わしげに聞いてくるが、オレはやっぱり首を横に振った。
「いらない」
でも、目は水の中でひらひらと泳ぐ赤い金魚に釘付けになる。
こんな風に水の中を泳ぐのは、さぞかし気持ちがいいだろう。
透明な水の中に赤やオレンジのひれがひらひらと舞い、それはとても美しく見えた。
「キレイだね」
心のうちを代弁するかのように聞こえた声に驚いて顔を上げれば、目があったその人はにっこりと笑った。
「…」
その目はとても優しくて、どうすればいいのかわからなかったからもう一度金魚を見ながら、うなずいた。
先生は、お祭りが好きだ。
オビトとリンも、お祭りが好きだ。
オレは人の多いところは好きではないけれど、楽しそうに笑う彼等を見るのは好きだったから、お祭りもそこそこ好きだった。
だから、オレたちは毎年この祭りに来ていた。
カキ氷を食べたり、金魚すくいをやったり、まるで当たり前の子どものように当たり前に祭りを楽しんで、その終わりには花火を見た。
でもその年は花火を見れなかった。
4人で行った祭りの記憶の中、花火を見なかったのはその年だけだった。
「!」
「カカシも、気づいた?」
「…変な気配が」
「うん」
先ほどまでと同じように、金魚すくいにはしゃぐ二人を眺めながら、感じられる侵入者の気配を追う。
「オビト、リン」
二人は、まだ気づいていない。
「なんだよ…って、あー!やぶれた!!」
返事をしたオビトの集中が一瞬緩んで、その隙に網がやぶれてしまった。
「カカシ!おまえのせいでやぶれちまったじゃねぇか!!」
オビトはそう文句を言うが、彼の手にしたおわんの中には5、6匹に金魚が狭そうに泳いでいる。
「そんだけとれれば十分でしょうが。っていうか、オレのせいじゃないし」
「なんだとー!?おまえが声をかけなかったらあと3、4匹は軽くとれてたんだよ!!」
「はいはい。それより…そろそろ行かないと、花火が始まる」
呆れたため息をつきながらいつものようにオビトと話す。
「ほら、リンも。花火、見れなくていいの?」
先生はリンを促している。
一瞬、視線を交わす。
「はぁい」
まだ名残惜しそうに泳ぎ回る金魚を見て、でもリンは聞き分けよく立ち上がった。
「ねえ、おじさん。後でもらいに行くから、この子達預かっててくれないかな」
金魚を袋に移そうとした露店のおじさんに先生がにこやかに声をかける。
「えー、なんでー?」
リンが不満そうに声を上げる。隣にいるオビトも不満そうだ。
「そりゃあかまわないけどよ、どうしてだい?」
おじさんも不思議そうだ。
「今から花火見に行くからさ、人がたくさんいるし…押し潰されちゃったら、かわいそうでしょ?」
「ああ、なるほどな。…わかった。預かっておこう。後で、ちゃんととりに来いよ?」
「うん。ありがとう」
にっこり笑ってから、先生はオレたちを見た。
「じゃあ、行こうか」
「え、先生…そっちは…」
「花火って、あっちだろ?」
「いいんだよ、こっちで。…穴場があるんだ」
花火とは反対の方向へ歩き始めた先生に、オビトもリンも慌てたようなあきれたような声を出す。
二人はまだ気づいていないし、回りの気配を探ってみても、誰一人として気づいている様子はない。いくら祭りで浮かれているとはいえ、どういうことなんだか。
思わず呆れてため息をつくと、先生がそれに気づいて苦笑した。
「…オビト、リン」
小さく小さく、極力唇も動かさずに声をかけた。
先生はそれに気づかぬふりをして笑っている。
先生とオレたちだと身長差がありすぎるから、こっそりと伝えるにはオレのほうが都合がいい。
「気づかないか?…ヘンなヤツラが、入ってきてる」
「え!?」
「全然…わかんない」
「でも、オレは感じたし先生も気づいた」
「じゃあ、…間違いないね」
名残惜しげに人並みを一瞥してから、リンが気配を切り替える。
オビトも残念そうではあったけれど、仕方ないとばかりに目つきを鋭くした。
そこからはあっという間。
侵入してきたヤツラを捕まえるのは難しくはなかった。
途中からはようやく事態に気がついた暗部の連中が来てくれたし。どうやら、祭りの警備として配置されていた連中は伸されてしまっていたらしい。確かに強い連中もいたけれど、そういうのは先生が相手してくれたからオレたちは全員無事だった。でも、人数が思っていたよりも多かったから手間取ってしまって、気がついたら、花火は終わってしまっていた。
オビトとリンは散々文句を言っていたし、先生もがっかりしていた。オレも、とても残念だった。
人ごみは好きじゃないけれど4人で行く夏祭りとそこで見る大きな花火は好きだから。
オビトとリンはオジサンから預けてた金魚を受け取って、それから先生に買ってもらったラムネをのみながら家に帰った。
祭りの次の日に、先生が小さな花火を持ってきた。
「お祭りの日に見れなかったから、その代わりに、ね」
オレもオビトもリンも、嬉しくて嬉しくて、3人で先生にしがみついた。
4人だけで見た小さな花火は、いつもの大きな花火に負けないくらいにキレイで、楽しかった。
* * *
不思議なものだと思う。
あの時、先生たちに連れられて来た祭りに、今度は教え子たちに連れられて来ている。
そしてあのころのように、自分はそれが楽しいのだ。
(こんな思いになる日がまた来るなんて、思っても見なかった)
彼らは死んでしまったのに、自分は今、生きて笑っている。
それはとても不思議なことだと思った。
「先生!」
明るい笑顔に、いつかの日を思い出す。
先生
オビト
リン
大切な人たちを、思い出す。
「どうした、ナルト」
「先生、急がないともうすぐ花火始まっちゃうわよ」
「早く行かないと、いい場所とられちまうってばよー!」
早く、とオレの手を引いてせかす子ども。
金の髪に青い瞳。
(あの人も、きっとこういう子どもだったんだろうな)
今度、自来也様に聞いてみるのもいいかもしれない。
「だいじょーぶ」
なんだか、とても楽しくてにっこりと笑った。
「穴場知ってるから。ちょっと外れちゃうけど、でも花火が大きく見えるところ」
そう言うと、ナルトとサクラは嬉しそうに笑った。
「人も少ないから、平気だよ」
サスケも、少しほっとしたような表情になった。
その夏に見た花火はとても大きくてとても明るくて、遠い昔にみんなで見た花火と同じくらい美しかった。
はしゃぐ子どもたちに相槌を打ってやりながら、俺は心の中で彼らに話しかける。
(今日の日を、忘れないで。大人になっても、ずっと、この花火を忘れないで)
いつか、彼らが大人になったときにこの花火を懐かしく思い出すことができればいい。
オレが遠い昔の花火を今でも忘れないように、彼らの心にも克明に残ってくれればいいのに。
「また、来年もこれるといいのに」
呟いた言葉にはしゃぐ子どもたちは気づかなかった。
ずっとこの夏が続けばいいのに
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