勿忘草 2
真田幸村が戦死したと政宗が報を受けたのはその3月後であった。
織田信長と徳川家康の連合軍に攻められ、背走する武田軍の兵を守るために本田忠勝と単身戦い、命を落としたとのことだった。
(やっぱり…)
その知らせを聞き、瞑目した政宗はすぐに筆を持ち、武田と上杉に文を送った。共闘の誘いをかけるためだ。
幸村を失いはしたものの武田はそのおかげで建て直しが可能な程度には兵が残っている。何より、武田信玄が無事であった。上杉謙信は義に篤い武人であり、以前より織田軍の横暴を憎んでいるという噂だ。なにより、信玄も謙信も織田の天下は決して彼らの望むものではないことを知っている。少なからぬ危険があり、国を思うのならば中立の立場をとるべきであるのかもしれないが、口説き方しだいでは彼らは何よりも強い味方となってくれることだろう。
毅然とした表情でみなの前で考えを述べる政宗を、小十郎だけが心配そうに見ていた。
「政宗様」
軍議が終わり、みなが去った広間でぼんやりとしていた政宗に小十郎が声をかけた。
「…大丈夫だ」
小十郎が何かを言うよりも先に政宗が制する。
「…」
誰よりもそばにあることの長い小十郎は政宗の心情がわかるようだった。それゆえになんと言えばいいのかわからず目を伏せる。何も言わずとも、部屋の空気を通して政宗の心情が流れ込んでくるように辛かった。
(あなたは、いつも…ひとりで耐えようとする)
悔しい、と思う。小十郎は自惚れでもなく、自分が政宗の支えになっていることを知っている。だが、小十郎が支えられるのは政宗のすべてではない。政宗はすべてを小十郎にまかせることをよしとしない。小十郎では支えられない政宗の弱いところを守っていたのは真田幸村だ。それを悔しく思い、それがゆえに幸村を快く思わないところもあったが、決してあの素直な男をきらいではなかったし、認めてもいた。政宗が見せる笑みの美しさが幸村によってもたらせるものであることを知っていたからだ。政宗をとられるのは気に食わなかったが、二人が互いにいい影響を与え合っていたのは明らかであった。
政宗の隻眼は静謐でさえあった。
諦めるでも、悔やむでもなく、ただ、すべてを受け入れた静かな色だった。
(ああ、この方は…)
覚悟を、決めたのだ。
これから先、あの男がいない世界を生きる決意を。片割れを失った、孤独な世界を行きぬく決意を。
「小十郎」
「は」
「勝つぞ」
強い、けれど静かな声だった。誰にも穢すことはできぬ美しい覚悟を秘めた声だった。
「天下を取るのは…俺だ」
小十郎は深く頭を下げ、改めて十も年下の主への忠誠を深くした。
(どうか、この方に…この世のあらゆる幸が降り注ぎますよう…)
政宗の失ったものを思い、胸が痛んだ。
小十郎の出て行った広間に一人きりでじっと座り込んだまま、政宗は幸村のことを思った。
本田忠勝に破れ散った幸村は、それでも最後まで政宗の愛したあの強い瞳を曇らせることはなかったであろう。そして、死の瞬間にも後悔することはなかったであろう。
実際のところはどうだったのかわからない。すべては政宗の想像でしかない。だが、政宗の知る幸村はそういう男であった。戦国最強と名高い男と最後に戦うことができて、幸福すら感じていたかもしれない。
(俺も大概だが…あいつも相当な戦馬鹿だからな)
目を輝かせて手合わせをせがむ幸村を思い出し、笑おうとしたが、うまく笑うことができなかった。笑いになりそこねた掠れた声が人のいなくなった広間に悲しく響いていた。
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