勿忘草 3





政宗はその夜、一人で酒を飲んだ。
生憎の曇天で月は見れなかったが、窓を開け放して夜の冷めた風に髪を遊ばせる。政宗の前には二つの酒盃がおかれていた。そのうちの一つを手に取り、ゆっくりと口元に運ぶ。
微かに聞こえる笛の哀切な音は小十郎の奏でるものだろう。それが政宗のために奏でられたものであることを政宗は知っていた。政宗が落ち込み、一人になりたいと願うとき小十郎は無理にそばにいようとはしない。だが、こうして笛の音で政宗に一人ではないことを伝えるのだ。
小十郎の笛の音に包まれながら、それでも今政宗の思考を支配しているのはたった一人の男であった。

幸村は最後に何を思ったのだろう。少しでも政宗を思うことはあったのだろうか。知る術はないし知ったところでどうすることもできない。
事実は変わらない。幸村は死んだ。ただ、それだけのことだ。
涙は、出なかった。
それ以上に深い悔恨が残っただけだ。
(いまさら…何を悔やめっていうんだ)
自嘲する笑いは儚く消え、政宗は強い孤独を感じた。
脳裏に映る幸村がいつも笑っていたことが、今となってはただ悲しかった。





初めて政宗と幸村が出会ったとき、政宗は19歳で、幸村はその2つ年下の17歳だった。
いくさばで出会い、かつてないほどに心振るえ魂が歓喜に叫んだ。
付き合いが長くなるに連れ、いくさば以外で会うことも増えた。正反対の性質であったのになぜかよく気が合った。年が近いことも二人を近づける仲立ちをしただろう。
二人は互いに高めあい、研磨しあうよい友人であった。

その関係が変わったのは、二人がであって半年ほど経った、秋の終わりのころであっただろう。
酔った勢いで、二人は接吻をした。
そして、それと同時に自らの心のうちと互いの思いを悟った。
二人は視線を交わし、互いの目に映る恋情、そしてそこからくる情欲と絶望を見た。
自覚したと同時にあきらめなければならない思いであった。幸村も政宗も、捨てられないものがあった。譲れないものがある。それは彼らが彼らであるために、何を捨てても優先されるべきものであった。
そしてこの思いは、彼らの貫くべきものに対する裏切りでもあった。

「…」
「…」
どちらも、何も言わなかった。何も言わないまま、互いの目に映る恋情と絶望を捕らえ続けた。


「…あきらめられぬ」
ぽつり、とこぼしたのは幸村が先であった。その言葉に政宗は先の口付けからつかんだままであった幸村の袂を握る指先に力を込めた。
「…だが、どうしようもねえ」
「某は、こんなにも強い思いをほかに知らぬ。御館様への忠誠心とも、佐助への信頼とも、ほかの何とも決して同じではないのだ」
「…」
「捨てられぬ。思い切ることなどどうしてできようか」
発狂しそうだ。
愛しい相手が手の届くところにいて、その心は自分に向かっているというのに決して手を伸ばしてはいけないだなんて。

重い沈黙にからめられた深い想い。
それゆえの、苦悩と絶望。
行き場のない想いはかえって若い二人を盛り上がらせ、けれどその立場ゆえに自ら袋小路に追いこめられるほかなかった。

「…賭けを、しよう」
「賭け?」
「俺たちの行く末を…運を天に任せよう」
政宗の声は静謐で、それは覚悟を決めたものが持つものであった。
「俺にもあんたにも捨てられないものがある。But…これだって、切り捨てることなんてできやしねえんだ。だったら、…そうだな、あんたが、俺の背を抜いたら」
「?」
「そうしたら、俺たちの勝ちだ。自分を…許してやろう」

身長ばかりは、本人たちの意思でどうすることもできない。
政宗も幸村も男であり、一番の成長の時期はすでに数年前にすぎている。
幸村がこれから背の伸びる保障などどこにもなく、あるいは逆に政宗の背が伸びる可能性だってあった。
「世の中には偶然なんてない。あるのは必然だけだ。だから、どちらに転んだとしても…それが必然であり、俺たちのあるべき姿だ」
そう言って、政宗は強い瞳で幸村を見つめ、袂を握っていた指を解いた。
「I resigned ourselves to our fate」




(運命に身を任せた結果がこれだ)
言えばよかった。何もかも忘れ、ただすがり付けばよかった。
愛していると、言いたかった。
愛していると、言って欲しかった。

(ゆきむら…)
政宗に与えられた深い孤独が捧げた愛の代償であるのなら、政宗はその孤独を甘受する義務があった。そして、政宗はどれほど絶望しようとも幸村を愛したことを後悔したことはなかった。後悔することがあるとすれば、あの日、何も言えなかったことだけだ。

その夜飲んだ酒はかつてないほどに苦く、政宗は酔うこともできずにただ眠るためだけに酒を呷った。








 



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