こひねがはくはのぞむもの 参





かわいらしい人だ。
口付けの余韻に頬を火照らせ瞳を潤ませた政宗を抱きしめながら、幸村は改めて胸を高鳴らせる。
なんて、いとおしい。
政宗は幸村よりも二つ年上であり、平生はその年齢差に見合った余裕と落ち着きで幸村を揶揄し翻弄するが、幸村が色を孕んだ目で迫ればたちどころに純真で初心な幼さを見せる。色恋沙汰に疎く、意外にも経験が少ない政宗は幸村の口付けひとつにも容易く乱され、戸惑うように震える指でしがみついてくるのがなんとも愛らしい。もちろん、政宗とて男であり一方的に手玉に取られるのは気に食わないと見え、自ら迫ってくることもある。そんなときの政宗は妖艶で美しく幸村を高ぶらせるに十分すぎるほどである。しかし、我慢できなくなった幸村が反旗を翻せばたちどころに主導権は幸村に移ってしまう。どうやら、迫るのは平気でも迫られるのには弱いようだ。そんなところすらもかわいらしい、と思ってしまうのはいささか欲目が過ぎるだろうか。

「政宗殿…お慕いしております。そなたが…こんなにも、いとおしい。もっとそばにいたいと、離れがたいといつも思っておりまする。…牽牛殿は、一年に一度しか愛しい方に会えず、不満ではないのだろうか。某なればとてもたえられませぬ」
七夕、ということで感傷的になっているのかも知れない。抱きしめた政宗の肩口、細い首筋に顔を埋め深く息を吸い込みながらささやけば、ぴくりと震えながらも表面だけは平然と、政宗はぺちぺちと幸村の背をたたいた。

「馬鹿いうな。そもそも俺とおまえがこうして会ってることのほうがおかしいだろ。同盟が切れたらもとの木阿弥、俺とおまえはいくさばくらいでしか見えなくなる。本来はそっちのほうが正しいはずだろ」
そもそも出会ったのもいくさばだったし。
いつだって正論は耳に痛く、現実は胸に痛い。幼子に言い聞かせるような口調を悔しく思いながら、幸村は政宗を抱きしめる…しがみつくといったほうが正しいかもしれない…腕に力をこめた。

「某とて、そのくらいのことはわかっておりますが…」
今は忘れていたいのだと。そう示すように細い首筋に吸い付けば、政宗は身体を震わせ、熱い息を吐きながら、今度は幸村のひとつにくくられた長い後ろ髪を引っ張った。
「っ」
がくりと後ろにのけぞった幸村は恨めしそうに政宗をにらむが、政宗は幸村の視線など気にも留めずに腕の中から抜け出し、反対に幸村の顔を覗き込んだ。

「Hey, darling」
ちゅ、と鼻の頭に口付けを落としながら政宗は楽しげに笑う。たったそれだけで幸村はほかのことなどどうでもいいような気分になって、微笑み返す。それを見て政宗はもう一度、今度は頬に軽く口付けた。
「そもそも、牽牛も織女も会えなくなったのは自業自得、自分たちの職務怠慢が原因だろ?そんなの…同情の余地はねえな。特にな、牽牛はともかく織女は天帝の娘という立場にありながらすべてを放棄して恋にかまけたんだ。会えなくなったのはどう考えても因果応報、ってやつだろ」

それは、まるで。
武田に仕える小大名の次男坊でしかない幸村と、奥州を束ねる大大名の政宗のことを暗に言っているようにも思えた。自らを戒めているようにも、幸村に釘をさしているようにも読み取れる。
政宗はいろいろな言葉を使う。幸村はいつもそこにこめられた意味を紐解こうと必死になるばかりだ。
今も、政宗のこの言葉が自分たちに重ねた自嘲であったのか、単なる所感なのか、幸村にはわからなかった。

「政宗殿…」
どうすればいいのかわからずただ名前を呼ぶと、政宗は困ったような表情をした。
「そんな顔するなよ、幸村。見も知らないやつらの恋路なんて俺たちにはどうでもいいだろう?そりゃ、俺たちだってそうしょっちゅう会えるわけじゃないが…but、今、俺はここにいてあんたもここにいる。同盟がなくなって敵同士に戻ったとしても、いくさばで刃を重ねることができる。俺をあんなにも熱くさせるのはあんただけだし、あんたをあんなにも高ぶらせることができるのも俺だけだ。それだけで十分だろ?だから…」
「足りませぬ」
「幸村?」

なだめるような政宗の言葉をさえぎり、きっぱり言い切った幸村に驚いたように目を見張れば、幸村はしっかりと政宗の隻眼を捕らえながら言葉を重ねる。
「足りませぬ、政宗殿。足りぬのです。ただ触れるだけでは、想うだけでは、足りませぬ。某はそなたのすべてが欲しい。すべて、です。今こうしているそなたも、奥州筆頭として在るそなたも、某はすべて欲しい。いくら乞うたところで差し出せぬものがあること、某とて承知しております。ですが、あきらめることなどできませぬ。叶わぬと知りながらも、某は、そなたのすべてが欲しい」

物分りのいい言葉など聞きたくなかった。おそらく、正しいのは政宗だろう。己の立場を知り、分をわきまえ、それ以上を求めようとしない。決して情に流され道を違えたりなどしない。それは国主として、人の上に立つものとして正しい在り方である。奥州王としての枷を自らにはめて揺らがずに凛と立つ姿は美しくも潔く、それも幸村の惹かれた政宗の一面である。しかし、あきらめて欲しくないのだ。政宗に自分をあきらめて欲しくない。幸村が政宗に対してそうであるように、政宗にも幸村を飽くなきまでに求めて欲しかった。

欲しいのは物分りのいいあきらめの言葉ではなく、獣のように自身に忠実な残酷なまでにむき出しの飾らない言葉なのだ。





 



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