こひねがはくはのぞむもの 伍








肩口に顔をうずめる政宗の髪をなぜながら、幸村はそっと微笑んだ。政宗は幸村の手を拒まない。そのことに気をよくしながらちゅ、と頭のてっぺんに口付けを落とす。耳の先まで赤くしながらわずかに身じろぐものの、政宗はそれでも幸村からはなれようとはしなかった。
「政宗殿」
「…おまえ、どこで覚えてきたんだ、長恨歌なんて」
くぐもった声での恨み言。
一節をきいただけでその出典がわかるなんて流石政宗殿、と感心する。あまりにも有名な漢詩を今まで知らなかった幸村が無知なのだが、きっとどんな漢詩や和歌を使って告げた言葉であろうとも政宗にはその原典が何なのかわかるだろう。無骨で槍をふるうことばかりに熱心な己とは違い政宗は花、茶、和歌、舞、およそ趣味人が好むであろうほぼすべてのものに通じている。

「政宗殿が」
「?」
「政宗殿が時に告げる言葉の意味を知りたく思い、慣れないながら文学を紐解きまいた。和歌よりは漢詩のほうが馴染めるかと手に取った文献にこの詩があり、この言葉を見たときに真っ先に政宗殿を思いまいた。某も、政宗殿とかくありたいものであると」
たとえどこに在ろうとも、この身の片割れとなって欲しい。そう、願いを込めて。

「知ってるか?」
顔を上げた政宗が少し意地悪そうに笑った。
「この詩の主人公…比翼連理と誓い合った玄宗皇帝と楊貴妃はな、死に別れるんだ」
「!」
「楊貴妃を愛するあまり恋におぼれた玄宗皇帝に不満を抱くものが反乱を起こし、宮廷から逃げる際に楊貴妃は殺される。…玄宗が皇帝でなければ楊貴妃が殺されることはなかっただろう。だが、玄宗が皇帝でなければ二人は出会えなかっただろう。楊貴妃を溺愛するあまり政治を疎かにした玄宗、そんな玄宗に愛された楊貴妃は何を思っていたんだろうな。諌めることはしかなったんだろうか。名君と名高かった玄宗は楊貴妃を得て変わった。楊貴妃の死は政を疎かにした報いだろう。…牽牛と織女に、少し似ているな」
わずか遠くに視線を投げて切なげにため息を吐く政宗が儚く、風に揺れて消えてしまいそうに思えて抱きしめる腕に力を込めた。

「…強すぎる思いはそれが愛であれ憎しみであれ、その代償に何かを奪われる。それを対価と呼ぶのか代償、犠牲と呼ぶのかはわからない。でも、だから…俺は、おまえを想うのが少し怖い」
「政宗殿…」
「初めて会った日のことを覚えているか?俺はあの日、かつてないほどに昂ぶった。心が高揚して身体が熱くなって、おまえ以外目に入らなかった。おまえを殺したくて、刃を重ねるのが楽しくて、どうしようもなかった」
この一瞬が永遠に続けばいい、と。
その望みは幸村とて同じこと。問われるまでもなく、鮮やかに思い出せるあの瞬間。




弦月の前立て、青く清かな陣羽織の裾をはためかせながら六爪を自在に操りいくさばを駆け抜けてゆく鮮烈な光。その隻眼に宿る鋭い光に射竦められ、息が止まるかと思った。
そこがいくさばであるということも忘れて幸村は見惚れずにはいられなかった。今にして思えばそれは一目ぼれであったのだが、そのときの幸村にそれがわかるはずもなく、槍を握る手に力を入れ、彼から目をそらさぬままに腹に力を込めて大音声で名乗りを上げた。
『我が名は真田源二郎幸村、武田が一番槍なり!そこなる御仁、お相手願う!!』
兜と眼帯で表情は隠されているが、口の端をあげてにぃ、と楽しげに笑うのが見えた。
『なかなかcoolじゃねぇか、あんた。奥州筆頭、伊達政宗。……推して参る!!』




「…なんと、美しい御仁なのかと、そう思いまいた」
うっとりと呟く。
「は?」
「兜と眼帯に顔の大半が隠れ、血と泥に汚れていたために顔立ちははっきりわかりませなんだが、ただただ美しいと。顔立ちや立ち居振る舞いではなく、ただ、その存在が何より美しいと」
野生の獣のようなしなやかさ、むき出しの魂の輝き。
幸村が政宗を最も美しいと思うのはいくさばで本能の命じるままに刃を重ねる瞬間だ。

「あんたはどうしてそう臆面もなく…」
言葉を弄することを知らずただただ実直に思いのままを告げる幸村に政宗が赤面する。政に関すること、外交や部下に対するねぎらいならば言葉を惜しまないが、思いの丈を口にすることに慣れない政宗にとって幸村のてらいのない言葉は真っ直ぐすぎて、どう受け止めていいのかすらわからない。戸惑い、困惑しそれでも幸村の投げた言葉のすべてを不器用に受け入れようとする政宗がたまらなくいとおしい。
幸村よりもずっと大人で器用な人の、たまに見せる幼さがかわいらしかった。

くたりと力を抜いて幸村の腕に身体を預けながら、政宗はくすくすと笑った。
「まさか、あの時出会ったrivalとこんな関係になるとは思わなかった」
「某とて…。己がかような想いを抱く日がこようとは思いもしませんでした。ただただ御館様の天下のみを目指し願い戦い生きてゆくものだと。そなたに会えなければ某はきっと生涯かように強く激しく甘い思いを知らなかった」

ささやきながら深く口付け、そのまま優しくけれど強引に押し倒す。
部屋に戻るわずかの間ですら惜しむように。牽牛と織女に負けぬむつまじさを見せ付けるように。




 



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